344 |
信濃の最期について教えて下さい(潜水艦に沈められた事だけ知っています)大和級も魚雷には弱いということでしょうか? ゾフィーエル |
ちなみに、回航中だったので乗員もほとんど乗っておらず、水防隔壁も開けっ放しだったそうです(そうでなければ潜水艦の魚雷4本で横転沈没はしない筈)。
安井 賢一
ひもと
護衛についた駆逐艦はレイテ帰りで
水中聴音機がどれも使い物にならない状況だったそうな
勿論、稼動状態でも性能は怪しい代物なのだが・・・・
SUDO
工事用のケーブルが走ってて閉めようもなかった・・・・って話には異論もあったよう
に記憶しているんですが。
(MLだったか、なんかの本で読んだんだか忘れた、だれか知ってる人?)
佐藤利行
1944年11月19日 竣工
1944年11月28日
13:32 横須賀出港。目的地 呉。
20:48 三宅島西南方で哨戒中の米潜SS-311 ARCHERFISH のレーダに捉えられる。
23:00 潜水艦を認め左に進路を変えて ARCHERFISH をかわす。
23:40 米潜をかわしたとみて西に変針。ARCHERFISHは航路南の射程/視界外に占位して追尾。
1944年11月29日
02:45 右舷前方に潜水艦らしき艦影を認め、左(ARCHERFISH側)に転舵。米潜の射程内に入る。
03:16 ARCHERFISH 魚雷発射。魚雷はMk-14。炸薬はトルペックス680lb(300kg)。6本撃って4本当たる。位置 御前崎南108浬。
04:10 傾斜10度
05:00 動力とまる
06:00 傾斜20度
10:30 総員退去
10:57 転覆沈没 北緯33°06' 東経136°46' 水深4000m
Ticonderoga-1
「大和型には重量軽減が極度に行われた関係上、トランク類や
フラット類で極度に薄板構造の部分があって、雷撃の衝撃振動で
そうした薄板構造部分の防水が破れて、浸水の波及がなかったとは
断言できないと思う。私は信濃沈没の責任が、全部建造所の防水工事の
不備にもとづくものと、断言するにしのびない。」とあります。
遠まわしに言っていますが、牧野茂氏は、大和型は耐弾防御に腐心するあまり
水中防御の設計が十分ではなかったというのが持論のようです。
世界の艦船 No.383(1987.9)-No.397(1988.9)に論考があります。
(余談ながら トランクとは複数の水密甲板を上下方向に、あるいは
横隔壁を前後方向に貫通するトンネルのようなつくりの部分の
ことです。フラットとは、強度に直接関係しない床面のことです。)
Ticonderoga-3
それで『横須賀海軍工廠外史』及び造船部技師の証言としては、中甲板以上の防毒区画の気密試験だけは
省略したがそれ以外の気密試験や応急注排水装置をはじめ保安に関する設備は全て完全に実施した」と
あります。
信濃の水密試験省略は水線上に限られた気密試験省略が全部省略されたかのように戦後誤り伝えられて
いると当時の技師の証言として書かれていますが。
佐藤利行
残工事中の工員が多数乗船してたんですよね?
東京湾での公試までには全部修了していたとは思えないなぁ。
Navy