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帝國海軍にモニターという艦種が無かったのが残念でなりません。小さな艦体に極端な巨砲という不格好なアンバランスさに逆に魅力を感じます。それにしても、真横に砲塔を向けて射撃した場合、転覆するようなことは無かったのかと、心配してしまいます。 ノルマンディー上陸支援砲撃にもモニターが参加していたかと、うろ覚えで記憶しているのですが、対艦戦闘でモニターが選果を挙げたことってあるのでしょうか? Sampon |
南北戦争で南軍装甲艦と壮絶な一騎打ちをしたのは有名ですね
ただ、この手の艦艇は基本的に
水上戦闘には向いていませんってゆーか
地上砲撃を目的としたものですから
水上戦闘の可能性がある場合は投入されないし
護衛艦艇が付いたりするので、たぶん戦果は無いと思う・・・
ここ最近の世界の艦船に出てたような記憶はあるんだが・・・・
SUDO
しかし、モニターは以前、模型を造ろうと図面を引いてみたのですが、それなりにデカい船ですよね。
BUN
「小艦巨砲」というイメージだったのですが、それなりの大きさがあったということは、巨砲を発射する最低限のプラットフォームとしての大きさはあったのですね。横向きに発砲しても転覆しない程度の。
それにしても「モニター」って変な名前ですが、そもそもどういう曰くつきの名前なのでしょうね。辞書を見たら指導生とか大とかげとかいう意味も出てましたが。
Sampon
ささき
(N)
Ketzer
モニターについてですが、これには2種類ありますので、混同なさらないようにしてください。アメリカ南北戦争で大量に建造された元祖モニターは、基本的に対艦戦闘を主目的として建造されておりますので、それなりに戦果も挙げています。
第一次大戦以降、主にイギリスで建造されたモニターは、名前が借用されただけで対陸上間接射撃専用ですので、対艦攻撃能力は基本的にありません。
以下は話を第一次大戦以降のモニターに限定しますが、それなりの大きさがあって、それなりの復原力を持たされていますから、発砲の反動でひっくり返るようなことはありません。もしそれでコケるなら、そよ風でもひっくり返ります。横を向けられない砲塔があったのも事実ですが、これは、旋回角を制限すればいろいろな意味で構造が楽になるからだと思われます。
損失では、イギリスのラグランとM28が、トルコの巡洋戦艦ヤウズ・スルタン・セリム(元ドイツのゲーベン)に砲撃で沈められています。他は潜水艦か機雷、航空機による被害でした。
それなりの軍艦相手に戦果を上げたのは、やはり第一次大戦で東アフリカ・ルフジ川に潜んだドイツの軽巡洋艦ケーニッヒスベルクを、イギリスのセヴァーンとハンバーが間接射撃で撃破したくらいでしょう。これも最終的には自沈したものです。
管理者の方にお尋ねしますが、このQ&Aには日付の項目がないのでしょうか。新参者としては、すでに終わってしまった話題なのかどうか、判断ができません。
志郎
「メリマック」との砲戦で有名な元祖モニター以外にも、南北戦争時にモニターがあったんですね。それらは、何と呼ばれていたのでしょう?固有名詞のUSS Monitorと、一般名詞のmonitorを、どうやって区別したのでしょうね。
Sampon
大量生産されたmonitorsとは、どれくらいの数だったのでしょう?名前はどんなんだったのでしょうね。気になって調べていたら、「モニター」は暴風雨で浸水、沈没という末路だったと知りました。あれだけ乾舷が低ければ、ちょっとの嵐でも沈むでしょうね。後日談で、約80年後の第2次大戦中、水底の「モニター」の艦体を潜水艦と誤認した米海軍はこれに爆雷攻撃をかけたそうです。で、今は「モニター」はスキューバダイビングで訪れることができるのだそうです。
Sampon
ミシシッピ川専用の河川モニターなんてのもあり、これも二桁の数が造られました。南軍には旋回砲塔が造れなかったので、北軍ばかりです。砲塔を持たない同種艦 (性格的には同じもの) は、既成船からの戦時改造をたくさんやっておりますので、数など把握しようがありません。
戦後もポツポツ造っていまして、最後は1902年に完成したアーカンソー級です。上から弾が降ってくる時代になると低乾舷の利点はなくなるのですが、アメリカは造りつづけました。当然役に立たないので、じきに格下げになりましたが、州名を付されているので判るように、完成時は主力艦扱いです。
低乾舷=予備浮力がない、ですから、水が入ると石のように沈みます。2隻ほど機雷を踏みまして、秒単位で沈みました。それでもホーン岬を回った奴がいます。
志郎
Sampon
どういたしまして。もし、元祖モニターにご興味がおありでしたら、このページから「東江戸川工廠」へリンクをたどって「仮設・海防資料研究所」へどうぞ。そこの掲示板の過去ログに、「モニターのお話」が残っています。今は二人がかりでゲーベンとブレスラウをやっています。
志郎
流れを受けた艦種だそうで、2265トンで20センチ砲4門にそれなりの
重装甲。日本製なのでそれっぽい艦影をしています。
トンブリの方は1941年1月にビシー・フランス海軍と戦闘をしていますが、
一方的にやられたみたいですね・・・んで、大破・座礁。
もうひとつ、質問の趣旨とそれますがフィンランドの海防戦艦「イルマリネン」
「バイナモイネン」が4000トンで25センチ砲4門とモニター系列です。
おまけに場所柄で砕氷機能有り。こちらの方がモニターっぽいです。
(すげー格好いいです。個人的に)
両艦ともしばしば作戦行動をとっていますが、対艦戦闘は無かったみたい
で、おまけにイルマリネンは1941年に触雷沈没。
いずれも光人社NF文庫「欧州海戦記」より。
tow
ところで、考えてみると、「モニターの轟沈するところを見てみたかったです」というのは、大変軽率な発言でした。秒単位で沈没、ということは乗組員脱出の機会がほとんどゼロ、ということですから。命の尊厳を無視する発言でしたので、撤回します。
Sampon
Ketzer
Sampon
ノブゴロドとヴィッセ・アドミラル・ポポフの2隻(笑)
本来、ドニエプル河口の防衛用の
河川砲艦(モニター)だったのですが
あろうことか、ドニエプル川の流れで回転してしまい
乗組員が目を回すという非実用的な艦だったみたいです
SUDO
Sampon
でも、防御用の浮き砲台としては理想の形状、とされていた(向きがあります)。でもこのスタイル自身がすぐに廃れる。ケースメイト形状に取って代わるからである。(こっちの方が船としても自然)
かっぱ