298 |
個人的にいわゆる「海防艦戦記」モノが好きなのですが、太平洋戦争時の日本の海防艦はどうしてあんなに振るわなかったのでしょうか? よく、ソナー(アスディック?)が役に立たなかったーと、本には書いてあったような記憶があるのですが。 それと、日本にはコンボイ思想などはなかったのでしょうか?(確か、護衛空母もあったと思いますが) 占守 |
日本海軍の対潜索敵、標定は、全て水中聴音機に頼っていました。つまり、パッシヴソナーしかなかったのです。
アスディックは、アクティヴソナーです。パッシヴでも概略の距離と方位は出せますが、ピンポイントに特定するのはかなり困難です。アクティヴソナーであれば、距離・方位・深度をかなり正確につかめます。爆雷攻撃の精度が段違いによくなりますし、潜水艦が探知を振り切るのも格段に難しくなります。
コンボイ思想はありましたが、船会社や陸軍やGF司令部にはあまり理解がなく、適用されたのはそうとう後半になってからで、規模もかなり小さいものでした。
これは、船舶稼行率を重視しすぎたためです。
船団を組むには、船を港にためねばなりません。もう積みこみが終わった船も、まだ終わらない船を待たなければ船団を組めませんが、その待ち時間が無駄に思えて仕方がなくて、船団を組まずに出航させてしまうわけです。
護衛空母もありますが、初めから護衛空母として造ったのではなく、以前からの計画どおりに商船改造空母を造ったはいいが、速力が遅すぎて艦隊について行けないので、飛行機輸送に使っていたものを海上護衛総隊開設とともに移管した、という経緯です。
そんなわけで、護衛空母の運用思想などもまったく未熟で、対潜機搭乗員としての訓練も一から始める状態。で、その「護衛空母」と称される空母の大部分が、アメリカ潜水艦の獲物になってしまっています。
まなかじ
関連図書としては「海上護衛戦」大井篤 著を一読してもらうと、海上護衛だけ
ではなくてロジスティックな面から見た太平洋戦争の実状が分かってよろしいの
ですが。
佐藤利行2000
氏の言われるのは九三式から四式までの独系の保式の流れを汲む水中聴音機のことでしょう。これとほぼ平行して大正時代のSCAM式の輸入に始まる九一式から三式に至る探信儀の系譜があり、沖電気、東芝、愛知時計、日本蓄音機他に各工廠と幅広くかつ大量に生産されています。またASDICを参考にした軽便探信儀も特務艦艇用に製造されていました。
九三式から既に実用性は備えていたようですが、指向性を緩和して使いやすく、到達距離も長くなった三式の探知能力は12ノットで2000m程度だったようです。若干の仕様の違いで、巡洋艦用、商船用、潜水艦用、等があり、昭和十六年から後に広く装備されています。
三式は二つの受信ビームの各々の出力の和と差をブラウン管に表示する機構で、ソナードームまで備えて装備されていましたが、残念ながらキール線上に配置できない為に左右で探知能力(探信儀は通常横を見るもののようです)が異なるのが欠点でした。
BUN
BUN
佐藤利行2000
BUN