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290-帆船について>イヤーありがとうございました。これで今夜は眠れます。(笑) 19世紀の「カティ・サーク」については、ある程度知っていたのですが、中世になるとあまり資料が無くて・・・ ちなみにこの頃は、条約により「ポルトガルの船以外は南回帰航路で日本には来られない」らしいです。 まあ、とりあえず明日 本屋はしごします。(ザビエルなどのやつ) これだけ回答があると正直うれしくなってしまいます。みなさんありがとうございました。 k-s
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- スペインとポルトガルの分け前を決めたのは、1494年(コロンブスの第1回航海の二年後)にできた「トルデシーリャス条約」です。これによると、アフリカ大陸のちょい西のベルデ岬諸島より370レグア(何キロだか知りません)より西に発見される土地はすべてスペイン領、それより東はポルトガル領ということになってました。この条約によれば、日本が「発見」されたのはポルトガルの自由にできる位置になるそうです。「南回帰航路」という言葉は聞いたことがありません。解説いただけますでしょうか?
Sampon
- すみません、上の「トルデシーリャス条約」というのは、アメリカ大陸の分割を決めたやつでした。そうすると、喜望峰回り航路をポルトガルの独占としたのは、別の条約があってのことですね。無学ながらしゃしゃり出て失礼いたしました。
Sampon
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