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艦船が旗艦として使われているとき、提督と艦長の部屋の割り当てはどうなっていたのでしょうか? ぱるぱる |
軽巡以上)では、艦長のための部屋とは別に、司令官とか司令長官のため
の部屋が用意されています(幕僚のための私室や作戦室なども持っている)。
ですので、部屋割り云々の問題は一般には存在しないはずです。ただ、例
えば、司令長官と司令官が同居するような場合、これは滅多にないのです
が、捷号作戦のときの大和がそうなのですが、この場合は現場で臨機応変
に対応したのだと思います。私が知るところでは、宇垣司令官が使ってい
た部屋を栗田長官に渡して、宇垣司令官と森下艦長は公室を共用していた
ように記憶します。森下艦長が艦長予備室に入ろうと申し出たのを、宇垣
司令官が断った旨の記述も記憶にあります。
ちなみに、駆逐艦は一般に水雷戦隊旗艦になることを想定していないので、
それこそ艦長予備室のようなものがあればそこを艦長が使うなどのことも
あるのではないかと思いますが、具体的な記述を思い出すことはできませ
ん。また、潜水艦、具体的には巡潜三型とか甲型では、司令官が座乗する
ことを全体にした潜水戦隊旗艦として設計されておりまして、少なくとも
前者には、司令官室、幕僚室、作戦室などが設けられていたはずです。
今泉 淳
の数が違いますので、どの程度の規模の司令部を収容するかは艦によっ
てある程度前提にしていたと思います。軽巡なら戦隊、戦艦なら艦隊
司令部を収容することはある程度前提だと思うのですが、重巡クラスだ
とちょっと微妙だと思います。妙高型では、妙高・足柄と那智・羽黒で
は司令部の施設の規模が違っていたようにも記憶しています(丸スペシャ
ルに記述があるはずです)。たしか、前者が戦時の戦隊旗艦、平時の艦
隊旗艦を、後者が平時の戦隊旗艦の施設、のような具合の記述だったよ
うにも思いますが、ちょっと自信ないです。さらに、こういう原則にお
構い無しに、結局艦隊旗艦たる船がなければそれを旗艦にしてしまうよ
うですね。上記原則が正しいと仮定しても、結局那智も第五艦隊旗艦の
時代がありましたし、確かそれ以前は多摩が第五艦隊旗艦だったりした
はずですしね。
今泉 淳
令が乗っている場合、これらを旗艦とは呼ばず一般には「司令駆逐艦」とか
「司令潜水艦」とか呼ぶんだと思うのですが、この場合にどうなるのかはち
ょっと分からないですね。司令室とかがあったか記憶になくて(あるような
気もするけど、調べないと分からない)。ま、司令は基本的に「提督」では
ないから、厳密に言えばこの質問には関係ないのですが(笑)。
今泉 淳
あって、あれには「長官室」とか「艦長室」「参謀長室」とか部屋割りが
示してあったはずです。それの元の図面でも見れば、本来その部屋が誰の
ための部屋なのかが分かると思います。もっとも、司令部が乗艦していな
ければその部屋は空き部屋になってしまうので、乗組んでいる士官が使っ
たりするんだとも思います。確か、海兵62期の阿部平次郎少佐の回想に、
インド洋作戦から帰投後ミッドウェーに出撃した際、司令部が飛龍に移っ
たことに伴い、私室が参謀が使っていた部屋に変わった旨の記述があった
りもしましたので、元々の用途は想定されていても、絶対にそういう風に
使うというものでもなかったのだと思います。多分、飛行科分隊長室と戦
隊の参謀室では、しつらえ的にはほぼ同格だったのでしょうね。
今泉 淳
BUN
調べておきます。
今泉 淳
今泉 淳
どうも司令のための部屋のようですね。(少なくとも)秋月型や陽炎型
の艦橋にはそういう部屋があったと思います。
今泉 淳