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283 戦後、日本は造船王国になった。戦前からの技術集積に結果だと良く言われているが、軍艦については世界最高の艦船とあまり聞かない。日本の軍艦が他国のものと比較してどんな点が優れていたから、後の造船王国となったのですか。
竹吉

  1. 造船技術と兵器開発能力とは分けて考えるべきですね。船体は世界一、それに乗っけた武器は二流品、さて、軍艦としてこの船は傑作でしょうか。それに造船王国なんてものは高度経済成長時代の幻でしかない。技術蓄積は確かにあったでしょうが、アメリカの軍事的保護下の下で民需にまい進したがゆえの造船大国化だったと思っています。

    R

  2. まず、仰るところの「王国」となり得た背景には当時の
    1$=360円時代の労働力の安さもあった事と思います。
    (そうすっと,今の半導体王国は台湾?)

    また、デカいフネを造る技術の蓄積は間違いなく世界一線
    級のものがあったと思っております。
    戦うことを前提に造られた軍艦と違い、タンカーなどの
    『おおきな箱』であれば、労働力の単価と質。それに環境
    では当時のどこの国にも負けていなかったハズです。

    #軍艦としては、他国のものよりも悪天候に強かったよ〜な..
    (近辺に台風が多い為のローカル設計?/笑)
    きん

  3. >軍艦としては、他国のものよりも悪天候に強かったよ〜な..

     かの有名な第4艦隊事件や友鶴事件までは悪天候にはとりわけ弱い部類に入る艦艇が揃ってました。戦時中、荒天による被害が少ないのは、その後の改装・設計変更のおかげです。
     あと、空母で密閉式格納庫を採用したのは、対台風仕様だと聞きます。エセックス級などは開放式なので、荒天に弱かったそうです。

    FIX

  4. 日本が造船王国とよばれたのは、低コスト、短納期で船を造るからで、技術的にはどうだったのかなあ。電気溶接やブロック建造が大きな力になったと言われているけど、これももともと日本の十八番という訳ではないし。やっぱり人件費とかが多いように思いんじゃないでしょうか。それに造船王国とよばれたのは過去の話で、最近は韓国やらにお株を奪われているみたいだし。
    ただ技術レベルはともかく戦前から造船に携わる人間の数が多かったのは確かですね。
    itou

  5. 造船に限らず、日本(とドイツ)の戦後工業についていえるのは、連合国軍が「全部ぶっ壊して」くれたので、設備を一から作り直さざるをえず、そのためにかえって新技術の導入がスムースだった、という事情です。このため、既存設備にむりやり最新装置を据え付けざるをえなかった連合国よりも生産性が良い時期があった(少なくとも60年代まで)のは事実のようです。
    Schump

  6. 造船やそれ以外の工業でも、連合軍は日本の工業施設や設備を全部ぶち壊したりはして
    いませんよ(B-29の爆撃でも、戦後の接収を目的に爆撃目標から外された施設も多いし)
    あからさまに軍事目的のものは容赦なく壊されましたが(ドックなど米軍利用のものを
    除いて)民生利用の設備の多くは残されたし、兵器生産で使われていた工作機械などでも
    軍事・民生の区別が付きにくいものは結構残されました。
    これら残った設備や資材が技術者共々戦後の復興期を支えたと言ってもいいくらいです。
    (ただ、WW2の時点で飽和状態になったアメリカの工業界に比べて、残された設備が
     少ない(元から少ないけど^^;)日本の方が、拡張期に入ってどんどん新しい機械を
     導入していって、近代設備への転換がアメリカより楽だったのは事実でしょうけど)

    それで「造船王国」に関しては、最盛期には世界で建造される船舶の4割以上が日本の
    メーカーで造られ「世界一の造船王国」と呼ばれる様になった訳ですが、これは直接に
    は戦後の造船技術者達の努力の結果だと思います。
    戦後の造船業界の躍進は「戦前の技術が他国のものと比較してどんな点が優れていたか」
    などのマクロ的なものでは無くて、戦前から築き上げてきた造船技術の蓄積が敗戦に
    よってもゼロとならず、この残された技術遺産が戦後の日本の造船業界躍進のバネと
    なった点が「戦前からの技術集積の結果」として評価されているのだと思いますけど。

    (うむ、2000年バージョンになってからも文章が長い^^;)
    佐藤利行2000

  7. 戦時標準船で使用資材をギリギリに減らす研究や、特殊鋼原材料が枯渇しての代用鋼材研究の成果が戦後の自動車・船舶産業での軽量化・原価削減を実現する基礎データになったと聞いたことがあります。

    ささき

  8. ドックにせよ、クレーンにせよ、大型工作機械にせよ、造船の分野では、戦中、戦前の物は実に良く残っていて、戦後も長く使用されていますね。
    BUN

  9. そう言えば2年前になりますけど石川島播磨重工業(IHI)呉事業所にあった
    旧呉海軍工廠の大型ハンマーヘッドクレーンが解体されちゃいましたね。
    (長門や大和の建造に携わった大型クレーン)
    http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9711/html/1115side20.html
    http://www5.big.or.jp/~hatashi/gazou/YAMATO.jpg
    呉市も歴史遺産として保存を検討した様ですが、さすがに大きすぎて無理だった
    ようです。

    佐藤利行2000

  10. 横須賀のガントリークレーンもまあ、ずいぶん昔だけれど解体されて今やダイエーになってしまっています。日本戦艦の故郷なのにね。しかし、既に開戦前から老朽化を取り沙汰されていたのだというから良く保った方かもしれません。
    BUN

  11. 6.に追記ですが、終戦時にGHQが破壊したの軍需産業の製造設備よりも研究施設
    の方だったそうですね(軍事産業自体は組織的には徹底的に解体されましたが)

    軍需工場の方は全部GHQの管理下に置かれて日本人の自由には全く出来なくなって
    GHQの厳しい監督下に於いて民需転換の許可が降りたものから細々と生産再開した
    様ですが、この間の工場関係者の困窮は筆舌に尽くしがたい有様だったようです。
    (今もリストラだなんだって言われてますけど、当時よりはずっとマシでしょう^^;)
    ちなみに研究施設の破壊に関しては軍事関係だけの名目だった様ですが、実際には
    大学の研究設備まで破壊されたりして、当時でもだいぶ非難があったみたいです。

    それでも造船にしろ飛行機にしろ技術者は残ったし、資料や研究設備は失われても
    彼らが生きている限りは戦前・戦中の技術遺産がゼロにはならなかった訳ですから
    ・・・・人って大事ですね。
    佐藤利行

  12. しまった11.のHNに「2000」を付けるの忘れた^^;(ゴミ)
    佐藤利行2000

  13.  言葉足らずですみません。上方の私の回答は「空襲」を意図したものでした(戦後に占領軍が破壊して歩いたという話は私も知りません)が、あれだけ空襲されても思ったよりも製造設備・施設は残ったんですね。
     そういえば新明和(川西)の二式大艇に使った桁フライス盤がPS-1系列の製造にも使われたとか、80年くらい前の豊和工業のドイツ製薬莢検査機がつい最近まで使われていたという類の話は良く聞きます。
    Schump

  14. (造船王国の話とずれるますが)
    手元の本でGHQが賠償第一優先施設として接収した軍需工場は約400と書いて
    あります、内容はともかく接収するだけの工場がその程度は残ったんですね。
    (多いか少ないか)
    ただ、上にも書きましたが研究施設の方はそれこそ破壊して歩いたみたいですよ。
    特に原爆研究や航空機関係につながる研究設備は軍関係以外に官公庁から大学の
    設備まで、根こそぎやられたみたいです。

    中央航空研究所の高速風洞が進駐軍に壊された時、所長が「空気力学の研究の何が
    悪い!」って怒ったエピソードがあるらしいですが、これ航空禁止令が出た後でも
    風洞設備を自分達の手で壊さない程度の理性は残ってたんだなぁ・・と思います。
    敗戦で失った日本の技術遺産ってGHQに破壊されたり接収されたものより、終戦時
    に日本人自らの手で壊したり燃やしてしまった方が実は多いんじゃないかとも思って
    ますので。

    佐藤利行


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