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アメリカのアラスカ級、日本の超甲巡、ドイツのシャルンホルスト級、ソ連のクロンシュタット級、これらに対応するような『超大型巡洋艦』の計画は、イギリスやフランスには存在しないのでしょうか。 FIX |
山城扶桑
超甲巡というコンセプト自体、数で勝る米海軍の20センチ級巡洋艦の本土近海への遊撃が阻止できない、との恐怖から発想されたもののようです。条約型巡洋艦、20センチ級巡洋艦というものは意外と評価されていたのでしょう。
要するに巡洋艦数で勝る米英には超大型巡洋艦の発想は生まれなかったのでしょう。
BUN
時代によって若干の違いはあるにせよ
どこかの国で隙間を狙った配備が行われています
でもって、ここが重要なのですが
こーゆー中途半端なフネは明確なビジョンが無いと無意味です
日露戦争の日本の装甲巡洋艦は
戦艦以外の全てを始末できるフネとして
また戦艦の補助としての戦列構成として
WW1の大型装甲巡洋艦や巡戦も同様のコンセプトでしたが
これらは最終的に高速戦艦に収斂していきました
ならば、新たな「巡戦」はなんのコンセプトなのか
日米はお互いの条約型巡洋艦潰しで
日本の場合、金剛級巡戦の補完も有ったのでしょう
米国のアイオワ級戦艦が金剛対抗の「戦艦」だったように
最終的に高速戦艦で対応可能な物です
日本が超甲巡を開発したのは
「高速戦艦を建造する予算が無かった」からでしょう
米国が場当たり的対抗処置でアラスカ級の建造をしたのは
彼らには十分な高速戦艦が無かった事と
経済力の裏打ちが、それを可能としただけのハナシで
英国がKG5級の大量建造に走ったのは
中途半端な高速軽戦艦の使い道の無さに気が付いていたからでしょう
彼らは前ド級艦時代に高速な二等戦艦を整備して使い道に困った経験があります
SUDO
BUN
超甲巡とアラスカは
他国のそれとは異なった性格であるという主張は納得できますが
それは「きっかけ」だけでは?
19世紀末の軽戦艦は、行動能力の低い初期型前ド級戦艦と
戦闘能力の不足する巡洋艦の隙間を狙ったフネで
前ド級戦艦の性能向上により消滅しましたが
この隙間に装甲巡洋艦が入り、巡戦、そして戦艦へと発展して消える
この時のキッカケは日露であり、WW1でしたが
同時期に南米の建艦競争も影響をもたらしています
世界帝国と異なり、ギリギリの予算での競争なので、割り切りが凄いですが
日露戦争で英国に買収されたスフィトシュアを
同時期の戦艦や装甲巡洋艦と比べると、その際だった特殊性が見えてきます
南米の競争で生まれた地域的要求をふんだんに盛り込んだ艦ですが
米国の装甲巡洋艦やイタリアの軽戦艦は結果的に同レベルの艦でした
それぞれが狙った仮想敵国は異なるのですが
結果的に、それのどれもが装甲巡洋艦だった為に
大型装甲巡洋艦、乃至、軽戦艦になってしまった物です
今度の例も、最終的には仮想目標は「条約型巡洋艦」なので
何処の国で始まっても、高速軽戦艦となって、最終回答は高速戦艦なのです
実際問題として、米国は金剛級を条約型の天敵と認識しており
アラスカや超甲巡以前に、この競争の答えはアイオワだったんですな(笑)
SUDO
FIX
高速戦艦(巡洋戦艦)に対抗できる船は
対等以上の高速戦艦だけであり
巡洋戦艦と高速戦艦を保有していれば
大型巡洋艦なんぞ脅威でも何でもないのです
実際、条約廃止後
英国は、高速戦艦と大型軽巡洋艦の大量整備に走りました
大抵の重巡には大型軽巡で対抗可能ですし>勿論不利ではあるが
重点地域には高速戦艦を配置することでテコ入れ出来るのです
日米の場合、艦隊決戦のために高速戦艦を自由につかえる余地が少ないのが
「戦艦では無い」存在を必要とした背景では無いかと見てます
☆実例
戦艦とは別口にされていた金剛級が早期にソロモン戦に投入され
米軍は重巡が全滅するまで戦艦投入をしませんでした
日本が大和を投入しなかった様に
米軍も最後まで戦艦を投入しなかったのです
もし、BUN氏の上げた
米国条約型巡洋艦があちこちに出現するような状況が生起した場合
たとえ大和が30ノット出ても投入は無いでしょう
米軍の主力戦艦群への備えとして拘置されること確実です
おそらく、アイオワがあるのにアラスカが計画されたのも似たような背景
日本が金剛級を決戦用に温存して超甲巡で荒らしまわった場合
アイオワで対応すると艦隊決戦の駒が足りなくなるのです
両者は、互いに「艦隊決戦」という幻に振り回されていたのです
SUDO