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256 「敵機に向け弾幕を張る」時の弾幕は機に当たらなくても爆発しています。あれは発射何秒後とか、高度何メートルとかいう設定をしているのでしょうか。(米軍のVT信管除く)よくわからないので教えてください。
D太郎

  1. 基本的に枢軸側の対空砲はすべて“時限”信管です。つまり、発射後何秒で照準した空間に到達するかを数学、弾道学などにより計算、その時間を設定するわけです。日本軍の計算は非常に正確でしたが1回につき30秒余りもかかっていたので速射に向いていませんでした。一方アメリカ軍(VT信管採用まで)は誤差を許容し短時間で計算したため命中精度は劣るものの速射で圧倒できました。どちらが有効だったか言うまでもありません。
    kazu

  2. 日本海軍は弾幕射撃といった射撃法はほとんど実施していないのではないでしょうか?また、高射砲は単機、あるいは一編隊に対して射撃する場合には、あらかじめ幾つかの段階に時計信管を切っておき、射撃していたようです。
    BUN

  3.  どこの国でも同じだと思いますが、高角砲は何門かを1グループとし、各グループを統括する防空指揮所で計測・算定したデータを各砲に伝え、1つの目標に対し複数の砲から斉射を浴びせるシステムでした。しかしレイテの武蔵や沖縄の大和のように「なぶり殺し」状態のときは目標が多すぎ、しかも防空指揮所や伝達系統が早期に破壊されてしまったので、その後は砲側照準の各個射撃となってしまい更に防空力が低下したようです(ささき)

    ささき

  4. 余談になりますが、先日ケーブルテレビで新東宝の「戦艦大和」を見ましたが、指揮装置についた士官が砲側の戦死者が増える中、指揮装置を離れて直接指揮を執る場面が描かれていました。この映画、吉田満の原作にかなり忠実な内容ではあるものの考証には少々疑問が残りますが、機銃、高角砲座に番号がマーキングされている等、「ひょっとしてこれは実際にあったのでは?」と思わせるような部分もあって興味深かったですよ。白黒でどこか重みのある映像でした。
    BUN

  5. 余談ついでに弾幕射撃についても述べると、日本海軍の射撃法は戦争中期までの統制射撃が効果が少ないことが確認され、砲、銃側照準を19年頃から採用し始めます。これは大和等が19年半ばごろから単装機銃を装備し始めること等がその結果といえます。更にレイテ海戦後に、銃側照準は発射煙等に妨げられ困難との戦訓から、照準をせず、一定範囲を無照準で撃つ射撃法が採用されます。たとえば、25mm機銃は1500mの敵機に対して弾幕を張るといった射撃法が定められていました。こうした射撃法は、横須賀の砲術学校が指導を行っていました。
    BUN

  6. 余談のまとめ。弾幕射撃は沖縄特攻時の大和艦隊あたりが実施した可能性がある、といった程度です。大和の対空兵装の微妙な変遷がそれぞれの時期の戦術を反映していて興味深い、といったところでした。資料は「海軍砲術史」からの拾い読みでした。
    BUN

  7. 「弾幕射撃」の件ですがレイテの時の小沢艦隊で「伊勢」か「日向」がやってたと思いますが?
    (機銃毎に撃つ方向と角度決めて艦の全周に漏斗状に対空砲火を撃ち上げて弾幕を張ると言う・・・)
    伊勢か日向か忘れましたが艦長さんが雑誌のインタビューでそう語っていたのを記憶してるんですが。

    佐藤利行

  8. 射撃指揮装置を使用しても、それぞれの機銃群の射撃範囲は少しずつオーバーラップしながら分担されています。伊勢、日向の場合は、横須賀砲術学校の提唱した無照準射撃ではなくて、直前に飛行甲板に増設された多数の指揮装置の管制を受けない増設機銃に対して射撃範囲の分担と、銃側照準を指示したものではないでしょうか。艦長の発言は従来の射撃法の説明としてもそう矛盾無く受け取れる範囲の物だと思います。
    BUN


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