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214 大鳳にはなぜ姉妹艦がないのでしょう?

  1. 改「大鳳」型5隻の建造が予定されていたためです。(あず吉)


  2. (↑追記


  3. 『大鳳』自身が試作的な意味合いを含む艦だったからではないでしょうか。あと『雲龍』の方が建造しやすい(もしくは建造期間が短い)ので戦局が左前の時期、高性能艦の建造に手間取るよりはそこそこの艦をたくさん建造する方がよいと考えられていたのでしょう。


  4. (1)大鳳をテストモデルとして改大鳳型を建造する予定だった、(2)しかし戦局の急変によって中型空母大量生産計画に切り替えられた、(3)よって大鳳は一隻のみの建造となった、ということですね。ありがとうございました(質問者)


  5. 大鳳の後続艦は改マル五計画で見る限り、19年以降逐次完成の予定。飛龍型としての4隻の雲龍クラスはそれと平行して計画され、その後の改飛龍型9隻が続いています。ですから雲龍クラスが大鳳クラスに取って替わった訳ではなく計画の早かった雲龍クラスのみが着工、完成できたというのが正しいように思えます。BUN


  6. 昭和16年当時のマル五の当初案では大鳳型3隻が計画されていたのですが、既にこの時点で海軍省側は2隻を改飛龍型に変更するよう求めていますね。マル五とかは平時の建艦計画ですが着手する前に戦争が始まってしまいました。その後、改マル五として一応着手されますが、結局ほとんどの艦が完成する前に中止になり、マル追やマル急といった戦時急造計画が残り、後はコロコロ計画が変わります(ぴかちゅー)


  7. 改マル五計画=「昭和十七年度航空兵力増勢艦船建造補充計画」の中には130号艦(大鳳)型6隻について未起工の艦も急ぎ着工するとの内容があります。文書の上だけですが大鳳型建造は中止ではなく拡大されています。あと気になるのは雲流型最初の4隻(信濃改造で大鳳型より先に2隻減らされている)が三〇二型(飛龍型)と呼ばれ、その後の9隻が三〇二改型(改飛龍型)と呼ばれている点です。雲龍天城葛城はは改飛龍型ではないことになります。どうなんでしょうね?以上戦史叢書に収録されている内容によりました。BUN


  8. 基本的にはより生産性が比較的良い飛龍型の建造が優先されて手間のかかる大鳳型の建造が見合わされたという事だと思います。具体的な建造計画となるとこれがまた複雑怪奇で正直言って把握できていません。わからないながら「日本海軍史 第4巻 通史第5、6篇」の記述を元にして書きます。


  9. マル5計画(昭和16年9月軍令部より海軍大臣に商議)/大鳳型3隻→未着手 マル


  10. (


  11. (切れた、、下に最後のマルは無視)マル急計画(昭和16年11月商議)/「雲龍」(302号艦)→完成 改マル5計画(昭和17年6月商議)/飛龍型(302号艦型)13隻と130号艦型6隻→飛龍型2隻のみ完成。


  12. 第2段戦備/マル戦計画(昭和18年4月軍令部次長より海軍次官に協議)/資材流用のため建造中の空母2隻の工事中止、2隻の起工延期 第3段戦備(昭和18年9月決定)/昭和18年7月の線表に記載された以外の艦船は優先順位を下げ、空母8隻建造中止、残りは建造準備見送り。


  13. 恐らくこの場合の「飛龍型」というのは事実上の「雲龍型」で、「改飛龍型」というのは簡易型だったのではないでしょうか。「大鳳型」というのも「大鳳」の発展型の45000t級のものだったらしいので。


  14. け「雲龍型」曲がりなりにも建造着手されて2隻は完成したのに対して、実際には「大鳳型」の方は建造に着手していなかったのではないかと思います。


  15. (文章メチャクチャ及びぶつ切りすいません。酔っぱらってます)それからBUNさんの書き方だと誤解されやすいと思うので乳母心で注釈すると、「航空母艦緊急造成計画」はマル5計画以前に艦政本部が策定して先行して着手されたもので、空母の建造計画自体は改マル5に引き継がれていますが、改マル5とはイコールではありません(だめだ!自分で何言ってるか分かってないぞ!BUNさん余計な茶々入れ御免なさい/EOS)


  16. いいえ、書き方が悪い、というより、この計画自体がよく把握できていないので歯切れが悪い訳です。建造着手されなかった大鳳より、飛龍型、改飛龍型の区別がどこにあったかがホントの所一番気になります。主機の差なら葛城からのはずですし、天城と雲龍の差を考えるとその後の簡易化では別型とするには弱いように思えますし、さて真実は?BUN


  17. 「図解 日本の空母」光人社 にあげられた「雲龍」後期型の特徴を列挙すると、缶室と主機室の交互配置、揚弾装置の改正、搭載機種の変更(烈風18機+補用2機、彩雲6機、流星27機)とそれに伴う兵器搭載量の変更(25番は288発から144発、6番は456発から252発)と航空燃料の減少(360トン?から230トン)といったところのようです。でも後期型の第1艦であるべき「生駒」ではシフト配置は行われていなかったようでもあるのでよくわかりません(EOS)



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