3721 |
すみません、どうしても気になることなので。 太平洋戦争初期の日本海軍の偵察機はだいたい3人乗りですよね。 でも、瑞雲は二人乗りだし、紫雲も二人乗りです。 ところが、彩雲でまた3人乗りになっています。 どうして、3人乗りと二人乗りがあるのでしょうか。 二人乗りなら、やはり航法士がいないのでしょうか。 でも、航法士がいなくて、位置がわかるのでしょうか。 弘田 |
- 参考までに航空3283及び3325をご覧になって下さい。
今だと265と310辺りにあります。
T216
- 航法だけの問題ならば二座でもじゅうぶんです。機動を要求される急降下爆撃機もかなり初期の段階では単座とすることを考えられていましたが、洋上航法を考慮して二座を基本とすることに変えられています。偵察機が三座である必要性とは、目標に目を向ける偵察員がその情報を打電する労を取り除くことで「目」としての有用性を高めるためだったと思われます。
紫雲は14年の性能標準にしたがって試作された二座水偵であり、特に敵戦闘機並の高速(300kt/4000m)を求められています。そして要求性能を満たした上で可能ならば三座とすることも考慮するよう求められていました。
さらに、翌15年の性能標準では、同じ300kt/4000mの水偵は三座と改訂されています。
紫雲の時期には、高速性能を発揮させ得る見通しがじゅうぶんでなかったので、暫定的に高速性能と引き換えにすることで二座でもとりあえず満足する、とされていたのだと思います。
片
- ありがとうございます。
あ、以前に似たような質問があったのですね。失礼しました。
それにしても、艦上攻撃機は3座ですが、例えば、真珠湾攻撃のとき、
全機に3人乗ることもなかったのでは、と思います。
一部の先導機だけ3座にするとか、そういうことはないのですね。
軽くなった分、機動性も上がるわけだし。
弘田
- >3
一名減らすとなると偵察員が照準を行う水平爆撃機の場合「電信員欠」ということになるのですが、それでは旋回機銃が撃てなくなって困ります。
片