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零戦の試作機が工場から牛車で飛行場まで運ばれたことは有名ですが、それとは別に航空機工場(部品の下請け工場ではなく飛行機として組み立てられる工場で)の横に飛行場が無くて量産機もいちいち牛車で飛行場に運んでいたというのは事実でしょうか?(そのため軍が大量に牛を買い集めたとか) ロックマン |
- 参考までにどうぞ。
http://www.warbirds.jp/discussion/g0225.html
T216
- 零戦の完成機は初期の大江工場から牛車→各務原ルートから大江工場→艀→港整備工場から飛行→鈴鹿に切り替えられています。
また大江工場敷地内には当初、付属の飛行場がありました。
零戦と牛車というコントラストの高い組合せが目を引きますが、隣接した飛行場を持たない組立て工場は他にもあり、そこからの鉄道輸送にも多かれ少なかれ同じような苦労があったようです。零戦の後継機「烈風」の計画要求で特に鉄道輸送に対する適性が求められているのも隣接飛行場を持たない組立て工場での生産を考慮した結果のようです。
BUN
- 書かれていたことの趣旨は「アメリカの航空機工場には飛行場が隣接していたが、日本の工場には飛行場が隣接してなくていちいち牛車で運んでいたが非能率的だ」って内容でしたが工場の位置によっては(特に狭い日本の場合)飛行場を作れなくてもおかしくないですね。でもこの説はどこが出所なんですかね?
ロックマン
- 三菱名航の場合、牛だけでなく途中からペルシュロン馬が使われています。
また、この輸送は、馬の買い揃えも含めて、軍ではなくメーカー側の責任で行われています。この件については、吉村昭氏の『零式艦上戦闘機』にも取り上げられています。
零戦の場合でいえば、末期には最終組み立ては疎開のため多くの工場に分散されていますが、その際の移設先の選定が鈴鹿基地に接した三重工場、霞ヶ浦基地に接した若栗工場など、空爆の目を避けるためというよりはむしろ完成後の輸送の便に重点が置かれているように見えることが興味深いと思います。
片
- 自衛隊では新明和工業製のT−4用のトラベルポッドを使っています。
噂によると出張時にゴルフバッグを入れるためとか・・・
米軍では色々な機種ごとにトラベルポッド用意して使用しています。
ロックマン