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戦前の民間パイロットはどのくらいいたでしょうか。 また、どこで訓練するのでしょうか。 やはり、軍隊で訓練するのでしょうか。 戦前に、女性パイロットはいたのでしょうか。 よろしければ、教えてください。 弘田 |
- 質問の趣旨とは違うのかもしれませんが、昭和13年の段階で陸軍航空本部が「陸軍ニ於テハ差向キ約四千名ノ操縦者ヲ民間ニ保有」したいから、逓信省航空局の方でこれの「養成並保育方配慮相煩度」としてるのはおもしろいです。航空局のほうでも「予備空軍の充実維持」も視野に入れつつ航空機乗員地方養成所の設置を行っています。
民間飛行学校もありました。大手のところは中国からの留学生を受け入れていたりもします。
航空局のデータでは昭和12年の国内民間航空機乗員数は1375名。
但しここには一等操縦士、二等操縦士のほかに機関士も含まれます。
女性パイロットもいました。
片
- それから日本航空学生連盟というものもあり、ここでも飛行訓練を行っていました。大戦中の19年末に民間航空活動が中止されるまで存続し続けています。
航空機乗員養成所の方は終戦まで存続していたようです。
片
- ありがとうございます。
ところで、戦前に、民間で、レジャーのための自家用機などを持っている人もいたのでしょうか。
弘田
- レジャー目的の自家用機の輸入販売も実際に行われていますが、ほとんど売れていません。とはいえ、まったくゼロだったわけでもないようです。
ちなみに昭和15年の野沢式Z-1軽飛行機(40馬力)は、1機5000円程度での販売を見込んでいたようですが、試作1機を作ったのみ。
片
- <3 記憶のみで申し訳ありませんが、映画(時代劇)スターの嵐寛十郎(アラカン)氏が戦争前に自家用水上機で撮影所に通勤していたと何かで読んだ記憶があります。着水するところは撮影所の池だったと記憶しています。資格は2等操縦士だったと思います。何処で訓練したかわかりませんが同期生の2等操縦士はほぼ全員が徴集され、ほぼ全員がバシー海峡で戦死したそうです。アラカン氏は映画スターだったので軍事慰問に動員されパイロットでは徴集されず命拾いしたそうです。
ラインバッカー
- 女性パイロットは、大正11年に三等飛行士操縦試験に合格した愛媛県出身の兵頭精という人が第一号です。現在の千葉県習志野市鷺沼にあった伊藤飛行機研究所という、民間の航空パイロット養成機関の操縦訓練生となり、金銭面も含め苦労した結果、試験に合格してパイロットの資格を得たわけですが、スキャンダル騒ぎのため間もなくパイロットを止めてしまったとか。
NHKの朝の連続ドラマ「雲のじゅうたん」(昭和51年)の主人公のモデルとも言われています。最も、このドラマでは秋田県出身として舞台を置き換えていたけど。余談だが、このドラマで角館が全国的に有名になったんだよな・・
アリエフ
- 伊藤飛行機研究所で検索してみたら、次のサイトが引っかかりました。
あの模型メーカーの青島文化教材社の創設者も若い頃はパイロットの道を目指していて、三等飛行士の資格を取得して故郷・静岡で航空会社を起こしたのですが、当時はビラ撒きなど宣伝飛行位しか仕事が無く、事業は失敗してしまいました。
しかし、飛行機の夢を捨てきれず模型飛行機の会社を起こしたというわけで。
http://www.suruga.co.jp/tokaido/3book/3bu/17.html
アリエフ