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1式陸攻の主翼下面にゴムを張ったのは、被弾時にタンク下面から燃料が漏れ続けるのは危険と判断したからだと思います。 これに対し、飛龍ではタンク下面と主翼外版の間に漏れた燃料が滞留するのを防ぐため、タンク下面のみインテグラル方式にしたと、「丸」でやっていた飛龍の連載で読んだ覚えが有ります。 これが事実ならタンク下面からの燃料漏れを容認しているとも受け取れます。 全く逆の考え方をしているように思えるのですが、なぜこうなったのでしょうか? 御存知の方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いします。 どん |
- 飛龍の防弾対策は一式陸攻と同時期にほぼ同じような手法で実施されています。最終的に内袋式を目指したのも同じです。そして当初、防弾を考慮していなかった点もまた同じ。「タンク下面が翼外板を構成する方式」は当時、他の機種でも採用されているもので被弾時の効果は考えられていない上にむしろ有害と三菱側も認識しているはずです。
BUN
- 「漏れた燃料が機内に滞留し、そこで空気と混ざり爆燃性を持つ」ということがまず最初に懸念された、ということはあります。
一式陸攻でも防弾ゴムの貼り付けはタンクの垂直面からはじまります。箱型のタンク側面、あるいは前後方向に漏れたガソリンは、主翼の構造内に溜まることになります。また、この部分の主翼内部に炭酸ガスを充填し、滞留したガソリンの発火性を抑えようという方法も採られています。
「半造付けタンク」自体の採用は、むしろそうすることで燃料槽容量を拡大し、航続力を確保することが目的として大きかったのではないかと想像します。
片
- 回答ありがとうございます。
被弾を考慮してタンク下面を...というのは誤りでしたか。
でも、機内に滞留したガソリンが危険だという考えはあったんですね。
対策も行われていたとは知りませんでした。
どん
- 誤りといいますか、元々そのことは設計主務者の小沢久之丞氏が書き残したことに基づいているのですが、小沢氏はメリットを強調しようとされていたのかもしれません。
片
- タンク下面の話は戦史叢書でも紹介されてしまっているので半ば定説と化しているようですけれども、キ67のタンク防御は見直しが行われていて第一次から第四次までの段階を踏みつつ内袋式タンク、自動消火装置、四塩化炭素液層、胴体タンクへの装甲付与を行う方向に決まります。
元々キ67の計画開始は九七重爆二型の開発と重なるような比較的古いものなので、航続距離要求から発動機の水メタノールタンクを潰してタンク容量を稼いだ経緯がある機体ですから防弾装備の優先順位は低かったという事情があります。
BUN
- 重ねての回答ありがとうございます。
メリットを強調するのは設計者としての人情でしょうか。
もっと防御に気を使った機体なのだと思っていました。
どん
- >6
設計当初にはそういうメリットも本当に強調されていたのではないかと思うのです。(ただ、燃料タンクの構造は航続力対策だとはやはり思います)
しかし、その後に積み重ねられた戦訓が、そうしたものを通用させなくなっていったのだ、と。時間の流れのどの部分に当てはまる設計者発言だったのか理解する必要があるのだと思います。
片
- 敵の機銃弾が7.7mmクラスである場合は直撃してもタンクに着火しにくいという戦訓は支那事変の初期に確認されていますから、昭和14年に飛龍の研究が開始された当時、そのような発想があり得た事も否定できません。ただその後、防弾についての要求が次々に現れ、セミインテグラルタンクは昭和18年初頭には否定されるようになります。この頃一式陸攻に施された応急防弾装備と飛龍の原計画が持っていた燃料タンクの構造はそれぞれが採用された時期が違うという事で説明できると思います。飛龍の設計者の認識を問うよりもそれが採用された時期を把握することが重要でしょう。
BUN
- もう誰も見てないでしょうけど...
ありがとうございます。
おかげさまでスッキリしました。
どん