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高速の艦上偵察機が発達しなかったのはなぜでしょうか。 二式艦偵はやや例外的ですし、彩雲の登場はあまりに遅すぎると思います。 敵艦隊上空には当然哨戒機がいるはずなのに、 触接すれば追撃をうけるのはわかっているはずなのに、 事実「ワレ敵戦闘機ノ追擾ヲ受ク」で連絡を絶つ索敵機は多かったはずなのに、 鈍速の97艦攻や下駄履き水上機が索敵機・偵察機として使われ続けたのは? 日本以外でも艦上偵察機には艦攻・艦爆・艦戦を転用することが多く、敵機の追撃を振り切れる速力第一の機体の開発に各国とも熱心でなかったように思います。 ねのひ |
- 例えば彩雲開発当時の要求性能は、高度6000mで時速648Km以上、過貨状態で4630Km以上の航続力と、速度だけでなく高高度性能や大航続力が求められています。従って燃料搭載量も多くなり艦載機としては大型化してしまうわけですが、こうした偵察専用機を艦載機として開発する必要性がどの程度あるのか、これだけの性能を求めるのならば戦闘機、爆撃機又は攻撃機としての機能をも持つ汎用機として量産した方が多様なミッションに対応できて費用対効果が高いということになるのでは?
ジェット時代も同様ですが、艦載機には陸上機に比べ戦闘だけでなく偵察、攻撃もこなすといった汎用性が求められがちです。こうした汎用性を持つものにするか、あるいは艦戦、館爆等の転用で対応するという傾向になってしまうと思いますが。
アリエフ
- 敵を発見してから後の問題の前に、敵を発見できるかが先ず重要です。
つまり先ず優先すべきは大航続力です。
また日本軍の場合、専門の艦上偵察機を開発しています。97式艦攻と大差無い性能なので花開きませんでしたが。
また意外に思われるかもしれませんが、索敵機は簡単には撃破されません(勿論敵戦闘機が大量に跳梁跋扈していれば別ですが)
航跡から敵艦隊を見つけ出し、低空を進み、水平線ギリギリのところで観測をします(小さい飛行機が水平線に隠れながら見張っていた場合、簡単には見つけられません)
こうした手段が通用しなくなるのは、敵艦隊に見張りレーダーや多数のCAP機が投入されるようになってからですし、常時艦隊上空に戦闘機が居る訳ではありません(特に日本軍の場合)
また触接を維持するには、敵戦闘機に追いかけられて「逃げて」はダメです。よって、この問題は簡単には結論が出せないでしょう(米軍は戦闘機の護衛付きで索敵を出したりしてますね)偵察と索敵・触接は求められるところが異なるのです。
SUDO
- 二式艦偵が例外的な存在とは言い切れません。
支那事変以降の海軍は「性能標準」上で専門の偵察機対し、一貫して「敵戦闘機よりも高速であること」を求めています。十三試艦爆は初期の段階から高速偵察機としての用途が求められ、小型空母へ「艦偵」としての搭載も計画されています。二式艦偵は偶然の産物ではなく海軍の偵察専門機種に対する要求性能が定まった段階で現れた高速偵察機と捉えるべき存在です。
二式艦偵以前の艦上偵察機は艦攻の兵装を軽減して偵察用途に振り向けるような概念で要求性能が定められていますが、これは複座以上の艦上機を戦闘機より高速な機として開発する目途も立たない事と、航空母艦を中心とする艦隊の防空は陸上基地等に比較して貧弱なものとなる、という認識に依っているようです。この認識はマリアナ沖海戦以前の空母部隊に対してはほぼ適切な予想と言えるでしょう。
BUN
- 十三試艦爆、十四試水偵(紫雲)の時期が、複座以上高速単葉機を得ようとする最初期のアプローチでした。これ以前には、それに適した翼型もありません。高速水偵なども本当は三座にしたかったところもあるのですが、とにかくまず高速技術を確立させることが先決だったようです。
片
- 質問者です。ご回答ありがとうございます。
すると、鈍足の零式水偵やPBYが洋上をウロウロしていられたのは、複座高速機の開発が難しく、かつ艦隊の防空能力もまだ充実していない、という条件が揃っていたための過渡的な状況だと考えてよろしいでしょうか。
ねのひ
- >5 むしろ米海軍や英海軍がなぜ偵察専用の艦載機開発を進めようとしなかったのか、日本と比較して考えてみるべきでは?日本がこの種のものを必要とした原因は何かと。また、大航続距離、高速の艦上偵察機は主に何を偵察するのか?
陸上基地から爆撃機等の改造型の偵察機を飛ばすという方法でなく、艦載機にこだわったのは何故か?
例えば米軍の場合、サイパンの基地からB29の偵察機型を飛ばして日本本土戦略偵察を行っている。仮に日本の彩雲のような偵察専用艦載機が開発生産され米空母に配備されたとして、それは索敵よりも戦略偵察的な任務をも担わせることになるのだろうけど、米軍にとってそうしたものの優先順位は低かったのではないかと思いますが。
アリエフ
- 米海軍と日本海軍の偵察、索敵機の用法は大して変りません。
日本海軍も来寇する進攻部隊を発見し第一報を送るのは陸攻や大艇の索敵線のはずです。彩雲が要地偵察に使用されたのは配備当時の戦況がそうさせたのであって、本来の用法ではありません。
高速艦上偵察機を必要と考えた日本海軍の発想のベースには兵力的に劣勢な側が敵戦闘機の妨害をのがれて触接を維持し長距離先制攻撃隊を誘導するという作戦構想があります。日本海軍が航空アウトレンジ攻撃を作戦構想中に加えるのは昭和13年から14年頃で、高速偵察機はこの構想の一部をなしています。
また零式水偵は索敵にも使われますが、夜間触接機として日本の夜戦部隊にとって不可欠な機種でもあります。
どちらにせよ緊密な防空網を形成できる艦隊型空母が1ダースも集まるような巨大機動部隊は当時の想像の枠から外れているのです。
BUN