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戦後の民間航空飛行士の採用基準につき質問します。 (「航空機」関連と考え、こちらに質問します) 昭和27年の民間航空再開時、旧軍の飛行士経験者の募集があったとのことですが、 その採用基準のひとつに「飛行時間二千時間以上の者」が挙げられていたと 読んだ覚えがあります。 (零戦操縦士の藤田怡与蔵氏の本と思います。記憶モードですいません) そこで以下の疑問が発生しました。 問1. この基準は、当時の通常の飛行士採用基準(例えば米国)と較べて 難しかったのでしょうか、それとも一般的なものだったのでしょうか。 問2. 真珠湾やミッドウェーの経験者である同氏ですら、 採用基準に満たない当該基準で、 その時、何人くらいの元飛行士が採用されたのでしょう。 問3. この基準に満ちる能力を持つ人材は昭和27年当時の日本に、 何人くらいいたと推測されるでしょうか。 (「能力」のみで「意思」は考慮しないとします) 問4. 日本の民間航空の飛行士に、最多時、何人くらいの旧軍の飛行士が 在籍していたのでしょうか。 問5. 関連質問となりますが、戦後の枢軸国側(東西独・伊)で、 民間航空のパイロットになった例をご存知でしょうか。 具体例をご存知でしたら、お教え下さい。 以上、もしご存知の方、いらっしゃいましたら、お教え頂きたく 思います。よろしくお願いします。 ブドリ2世 |
- > その採用基準のひとつに「飛行時間二千時間以上の者」
> 真珠湾やミッドウェーの経験者である同氏ですら、
> 採用基準に満たない当該基準で
戦闘機パイロットでは、飛行時数が2000時間というのは相当のベテランでないと達成できないのかもしれませんが、大型機(中攻や輸送機)パイロットでは、2000時間というのはまだまだヒヨッ子だそうです(1万時間を越えるパイロットもそれなりにいたようです)
これは、戦闘機と大型機の一回あたりの飛行時間の違いが最も大きいようです
セミララ
- 5番ですが、戦闘機パイロットでイタリア王立空軍(RA)から、イタリア社会主義共和国空軍(ANR)に移って戦った戦歴の持ち主、ウーゴ・ドラーゴ大尉は、1953年にアリタリアに入って機長職を得たそうです。本によれば長らく充実した生活を送られたそうで、2000年の時点ではローマで元気に暮らされているとのことでした(1915年生まれ)。
まるき
- 「こちら機長席」という本をを著された迫 守治さんは、甲種予科練習生(6期)出身の戦闘機乗りで、昭和29年に日本航空に入社された方です
セミララ
- セミララ様、まるき様、ご回答ありがとうございました。
飛行士の経験を単純に「飛行時間」で計るわけにはいかないのですね。
勉強になりました。
ありがとうございました。
ブドリ2世