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3532 松本零士氏のマンガのような全面黒塗りのFw190Dが、テスト飛行だったか偵察飛行だったかで存在した、というようなエピソードを昔何かの本で読んだ記憶があるのですが、そんな話しの真偽を御存知の方、いらっしゃいますか?
黒塗りフォッケ

  1. 私はそのような話は聞いたことがありません。

    Fw190Dが登場の頃は、すでに夜間戦闘機も黒に塗ることは無くなっていました。テスト飛行にも、偵察飛行にも全面黒というのは例が無い。

    そのエピソードの載った本の書名が判れば、確実に”偽”だと判るのですが。
    サト

  2. かすかな記憶なのですが、ノボトニー(me262での戦闘中に死亡)が
    真っ黒に機体を塗っていたという記述をみたことがあります。

    wittmann

  3. 申し訳ありません。書名は残念ながら記憶にありません。
    やっぱり考証的におおらかな時代の珍説、みたいなものだったんでしょうか。
    検索でも全く手がかりが得られなかったので「そんなもの」という気もしておりましたが、ようやく諦め(?)がつきそうです
    どうもありがとうございました
    黒塗りフォッケ

  4. wittmannさんのご発言とかぶってしまいました。申し訳ありません。
    私の記憶の中でも確かにノヴォトニーの名前があったように思いますので、真偽の問題は別にして、記されたモノは実際にあったという事ですね。

    黒塗りフォッケ

  5. ノヴォトニーはスーパーエースですから、かれの乗機で珍しい塗装ならもっとうわさだけでももっと広まっていてもおかしくないし、定期的に話題になるでしょうから、現状ではマユツバですね。一時話題になったが、信憑性が低かったのでしょう。
    サト

  6. 文献を発見しました。ちょっと長くなりますが、面白いので引用します。
     小橋良夫「ナチ・ドイツのエースたち」(『航空ファン10月増刊号 −第2次大戦ドイツ軍用機写真集−』第20巻第13号、1971年10月)190ページに以下のような記述があります。
      「ワルター・ノボトニー少佐 ・・・24歳で少佐に進級して戦闘第52連隊長となり、Fw190D-9型とBf109G-14およびK-4型150機を指揮し、ルール北方ミュンスター付近の飛行場に展開し、連合軍に対し激烈な迎撃戦闘を開始した。その後Ju88型も多数が彼の指揮下に入り、24歳のノボトニー少佐は、この夜間爆撃隊までも指揮して戦ったのである。
      彼は自分の愛機Fw190D-9をまっ黒に塗り、白昼は戦闘機と戦い夜間は爆撃機の迎撃に連日連夜休みなく出動し、ますます記録を更新した。」
     この引用の第1段落とほぼ同じ内容が、大谷修「第2次大戦ドイツ空軍人列伝」(『航空情報臨時増刊No.88 −第2次大戦ドイツ軍用機の全貌−』1958年)249ページに出ていますが、まっ黒のD-9の記述はありません。
     また第1段落と略同形の内容(K-4とかD-9の記述はありませんが)はP.クロステルマン著、横塚光男訳『撃墜王』(出版共同社、新装版、1956年)211-212ページにも出ていまが、ここにもまっ黒のD-9の記述はありません。
     小橋氏が何を根拠にまっ黒のD-9の話しを書いたのか、興味のあるところです。

    中年受験生


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