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ソ連のMig-5は機首下面にも機銃を二機積んでますけれど、このような配置は他に見られません。何か問題があったのですか? またMig-5はどうやってその問題を克服したのですか? 隼の機首に12,7o機銃を四丁装備。なんて妄想が膨らむので。 みどり |
- 九七戦は機首下面に機銃を二機積んでますね。シリンダーの間から銃身が見えます。機首に機銃を増やさないのはプロペラとの同調がある為 時間あたりの発射弾数があまり増やせないのが原因だと思います。
vought
- 機首下面への機銃搭載なら、初期のマスタングもそうですね。
この場合、発動機艤装の関係で機首上面には積めませんし。
片
- #機首下面機銃の例
少し時代はさかのぼりますが、1920〜30年代の液冷戦闘機には、同じくV型エンジンのクランクケース両脇に銃身を置くレイアウトがよくみられます。空冷機では、アメリカのP-26も単列星型エンジンの下側シリンダーの隙間に銃身/ブラストチューブを通しています。
また、試作に終わりましたが、ポリカルポフI-185戦闘機が、空冷複列星型エンジンの外周に120度間隔で3門の20mm機関砲を装備しており、1門は機首真下からの発射となっています。
#下面装備の得失
機首デッキ上に装備する場合に比べ、下面装備は胴体正面面積(特に全高)の増加が少なく、また、コクピットからの機銃の直接操作(コッキング等)もしやすいという利点があります。
一方で弾薬箱の脱着や機銃へのベルトリンクの挿入といった補給作業や機銃自体の清掃・脱着といった整備作業には不便(機体の下に潜り込んだり、パイロットシートをはずしたりする必要)という欠点があり、さらにエンジンの大型化やコクピット内装備品の増加(無線、航法、武装・燃料制御機器の増加等による)のために機体下側に余剰スペースがとりにくくなったことも要因に挙げられるでしょう。
また、特に英米では翼内銃への移行が進んでおり、機首銃そのものが使われなくなった(>1)ことも見逃せません。
Schump
- 機首の下側に機銃を装備する方法は、上側に装備する方法に対して有利な点もあります
・発射時の硝煙で風防が汚れない
・夜間戦闘時、発射の閃光で目が眩まない
セミララ
- >2
同じ系列のエンジンを積んだ初期型P-40は機首上面に機銃を装備していますが、初期型マスタングで機首上面に装備できなかった艤装の違いとは何でしょうか?
けい
- >5. アリソン V-1710 は正立V型のうえ、降流式キャブレターを備えているため左右シリンダバンクの間に吸気管を通してやる必要があり、勢い機首上面のスペースが苦しくなります。
P-40B/C に搭載された V-1710-33 は減速ギヤの形式が異なり、プロペラ軸が低い位置(クランクシャフトと同じ高さ)に出ています。機銃はエンジン防火壁の後方、コクピット直前に装備されており、そこから長いブラスト・チューブでエンジン上方を抜けて機首に開口しているように見受けられます。
http://www.wpafb.af.mil/museum/research/p40-5.jpg
P-40D 以降ではスパー型減速ギヤを装備する V-1710-39 に換装したためプロペラ軸が上がり、これによって機首形状が大きく変更されると共に機首武装は廃止されています。エンジン上面にデッドスペースを設けない限り、銃口はプロペラ軸に隣接し過ぎてスピナーに当たってしまいます。http://www.kiwiaircraftimages.com/images/main/98_ohakea/P40OHK1.JPG
P-51A は最初から -39 搭載を前提に設計されており、同じ V-1710-39 搭載の試作戦闘機カーチス XP-46 も機首下面に 12.7mm x 2 挺を積む予定でした。
ささき
- 詳細を教えていただき、ありがとうございます。
P-40のエンジンの変遷について失念しておりました。
けい