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3527 空母ホーネットに搭載されたドゥーリトル隊のB−25は当初24機の候補があった後、成績で選抜されて16機になったそうですが、これは飛行甲板からの発艦可能な上限とは無関係なのでしょうか?
発艦のゆとりを持ってもっと選抜して12機とか、無理を押して18機とかといったケースは考えられなかったのでしょうか?
B−25そのものの通常の離陸距離はホーネットの飛行甲板全長(246.73m)より長いわけですし…。
ミッシェル

  1.  当初の計画では18機搭載する予定だったそうですが、甲板のスペースの関係上16機に削減されたそうです(発艦に必要な滑走距離を確保した上での搭載可能数の上限が16機ということでしょう)。
     なお搭載された16機のうち1機は米本土沖で発艦経験のないパイロットに発艦のお手本を見せるために搭載されたもの(発艦後は本土に帰還する予定)だったそうです。
     実際にはこのお手本用の機体も作戦に参加していますが。
    T216

  2. 海軍側は、搭載機数を15機にするように、と勧告していたそうです。

    出典:『東京初空襲 アメリカ特攻作戦の記録』(キャロル・V・グラインズ著 足達左京 訳、彩流社、1982)


    OPD

  3. お2人様ありがとうございます。16機という数字がやはり発艦可能の上限なのですね。前列機は訓練時よりも更に短く実質150mの滑走距離しかなかったと聞きます。
    ミッシェル


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