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こんにちは。素人の質問で恐縮ですが、2つほど教えてください。 (1)艦載機パイロットの育成について 第二次世界大戦中の空母では、主に戦闘機、爆撃機、攻撃機が 搭載されていたわけですが、このパイロットの育成は、どの機種 が一番難しかったのでしょうか。 素人考えでは、重い魚雷や爆弾を積んだ攻撃機が一番難しくて、 軽快な戦闘機が簡単だったのかな、などと思ったのですが、 裏付けるような資料が見つかりませんでした。もしご存じであれば 教えてください。 (2)T部隊の攻撃方法は有効なのでしょうか? 「敵空母の戦闘機が出せず、対空放火も有効に放てない悪天候時、 もしくは夜間に敵機動部隊を攻撃する」というのが、台湾沖航空戦 に投入されたT攻撃部隊の攻撃方法だと思います。 訓練不足や機上電探の性能不足で、有効な攻撃が行えなかった、 と市販の戦記読み物にあるのですが、では、充分な訓練を施した 搭乗員と機材があるなら、この攻撃方法は有効だったのでしょうか? (例えば、開戦前からそのような攻撃方法を想定し、訓練や機材調達 をしていた、など)。もしよろしければ教えてください。 高村 駿明 |
- 2)
実は大正時代から、夜間雷撃の研究は始まっています。
各航空隊に対する夜間雷撃の訓練と戦技は昭和9年度から始まりました。
ただ、日華事変によって12・13年の戦技は中止されたそうです(ちょうどこの時期は航空雷撃無用論のあった時期でもある)
よって開戦前から訓練も機材も準備されていました。
実際に、台湾沖(19年10月)以前18年1月のレンネル沖海戦等で夜間雷撃が行われており、以降の陸攻等の雷撃は薄暮か夜間に行われるのが普通でした。
夜間雷撃戦術そのものは、それ以前からも、そして沖縄戦等の台湾沖以降にも多用され、特攻以外の通常攻撃としては、高い生還率と高い攻撃成功率を示しています。
台湾沖海戦のタイムテーブルを順番に追いかけてみれば、何がどうして消耗していったのかが判るでしょう。
勿論、機材や訓練も問題の一つですが、本質的なところは、恐らく作戦指導や彼我の戦力差等に求められるのではないでしょうか。
SUDO
- 夜間雷撃戦術自体はそう珍しいものでもなく、英軍も戦前から演練を重ねており、タラントは夜襲でしたしビスマルク雷撃も悪天候を衝いてのものですし、チャンネルダッシュで待機していた雷撃部隊もソードフィッシュ、ボーフォートともに夜間雷撃を前提として展開していますね。
イタリア軍も42年暮れから43年中には夜間雷撃に切り替えています。
まなかじ
- > (1)
ご存じでしょうが、日本海軍では空母から攻撃隊を発艦させる時は艦首から艦戦、艦爆、艦攻の順で並べますので、必然的に艦戦が一番短い距離(全力発艦の場合、飛行甲板の全長の1/3くらいでしょうか)で発艦しなければなりません。
よって発艦の難易については艦戦もかなり難しいのではないでしょうか。
因みに、開戦当初の日本海軍の艦戦、艦爆、艦攻の過荷重装備時の翼面過重と馬力過重は以下のようになります。
翼面過重 馬力過重
零式艦上戦闘機二一型……119.2s/u 2.84s/hp
九九式艦上爆撃機一一型…104.6s/u 3.41s/hp
九七式三号艦上攻撃機……108.8s/u 4.10s/hp
確証がある訳ではありませんが、空戦・急降下爆撃・水平爆撃・雷撃のいずれもそれなりに困難な飛行法で、難易度にそれほど差異はないと思います。
しかし航法については、専門の教育を受けた偵察員が乗り組んでいる艦爆・艦攻と単座であるため一人で行わなくてはならない艦戦の搭乗員ではかなり差があったのではないでしょうか。
T216
- (1)
操縦上の難易度については、機種によるので何とも言えないでしょう。SB2C 艦爆よりは F6F 戦闘機のほうが簡単でしょうし、F4U 戦闘機よりは TBF 艦攻のほうが簡単でしょうし(って例が凄く偏ってるような)。
一般論でいえば重く大きな飛行機ほど直前でのリカバリが難しくなり、着艦パスを正確に取る技術が必要になります。極端な例を挙げればピッツ S-2 アクロバット機は滑走路直上 1000ft からでも着陸できますが、B-747 旅客機は数キロを費やして高度−速度を規定どおりに変化させなければれば安全な着陸ができません。しかし同時代の艦戦、艦爆、艦攻ならば重量やサイズに極端な差はなく(零戦と TBF という両極端で 全備 2.5t vs 8t)、「大きいから難しい」と言うほどの違いは無かったのではないかと思います。それよりは機種による違い…例えば「彗星は(零戦、97 艦攻、99 艦爆にくらべ)着陸速度が高くて難しい」のほうが大きかったのではないかと思います。
>3.
戦闘機は艦爆・艦攻より一回り小さな機体に同等またはそれ以上のパワーを積んでいるので、トルクの影響が大きく直線滑走しにくいことも離艦時の困難のひとつだったようです。この点で悪名高いのはイギリスのシーファイヤで、狭い車輪間隔と劣悪な地上前方視界が問題に拍車をかけたようです。
ささき
- 大変勉強になりました。みなさま、ありがとうございます。
高村 駿明