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強風についてお尋ねします。いわゆる後期生産型と呼ばれる機体についてですが、単排気管への改修はともかく機首部分まで再設計されています。生産数と登場時期を考えるとそこまでする必要性があったのか疑問に思うのです。 どのようないきさつでこのような改良が行われたのでしょうか。また、何らかの性能向上は認められたのでしょうか。 OCTPAQ |
- あくまで想像ですが、強風一一型後期型が生産されていた頃に既に生産が開始されていた紫電一一型のスピナーと関係があるのではないかと思ったりします。
T216
- >1
強風後期型は彗星と同じスピナーを使ってますから、紫電のスピナーとは直接関係ないです。
片
- 強風と紫電は、試作時期こそ違え、量産はほとんど並んで行われている兄弟機ですよね。どちらが先、とかいう感じでは実はあまりありません。にもかかわらず紫電は早々に単排気管を採用して量産され、強風の方は集合管のままほとんど終わりまで行っています。この辺の差は何なのか、ということはさておくとして、しかし、単排気管の強風"後期型"って、ほんとに量産されてたのかなあ、という疑問が少々。
片
- ↑2のスピナーの件は取消。
片
- ちょっと資料を見誤りました。
いわゆる"初期型"の方が彗星と同じスピナーです。
スピナーというのは各機種に固有のものではなく、標準化され型番で指定して使う部品なんです。
いずれにしても、紫電とは翅数が違いますし。
片
- T216様、片様ご回答ありがとうございます。初期型のスピナーが彗星と同じものだったのは驚きです。
単排気管の強風として確認できるのは、最も有名なサ−134号、終戦後佐世保で撮影された機体(世傑bT3 29ページ下の写真の左側の機体)、捕獲機として空母コア艦上を撮影した写真に写っている1機、佐世保基地で米軍が日本機を焼却しているカラー写真の中に1機、そして陣風のモックアップ写真の後方に確認できる製造番号570号の機体となり、すべて別の機体と仮定すると少なくとも5機は作られたことになります。総生産機数の約5%ですが、この数では量産機とは呼びにくいですね。
これらの機体のカウリングを見ると、分割ラインや締め付け金具蓋の形状が紫電に似た形状になっています。紫電の影響でしょうか。
OCTPAQ
- ミニマム2機、マキシマム24機(+α)というところでしょうか。
片