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単発機(小型機)に無線送受信器を搭載するようになったのは、いつ頃からでしょうか。 と言うのは、初期の飛行機で大砲の着弾観測をした場合、地上との連絡をどのようにやったのか、と言う単純な疑問から、上のような質問をさせて戴きました。 南 |
- 国によって多少の前後はありますが、単発複座機の場合、無線電信ならば20年代初め、無線電話は30年代半ば頃かと思います。
電信でも符号化してあればそれほど時間はかかりません。
とはいえ、有線で直接通話ができる点でとくに陸上の砲兵では各国とも観測気球はかなり後まで残っています。(最大の要因は安定したプラットホームであるという点ですが)
まなかじ
- 記憶モードですが、WW1の後期には飛行機で着弾観測をしていた、と読んだ記憶があります。
ただし、地上との連絡方法は書いてなかったと思います。まさか、手旗信号で、なんてことは無いと思いますが。
吉野
- >2
第一次大戦のドイツ海軍機の機種サブタイプ識別子に"FT(無線送信機装備)"と"HFT(無線送受信機装備)"というのがあります。これらを付された機体にはハンザ=ブランデンブルクW.29のような単発機(複座ですが)もあります。当時のドイツ海軍では複座水上戦闘機群を沖合に水上待機(!)させ、索敵機からの通報でスクランブルする戦法をよくとっていたので、送受信ともに必要だったのでしょう。
また、ドイツ陸軍のC(複座武装単発機)・CL(複座武装小型単発機)カテゴリの機体の図面を見ると、無線送信機の存在が確認できますし、英仏の同クラスの機体(ブレゲーBr.14やDH.4等)にも無線機(おそらく送信のみ)の装備例があります。よって、遅くともWW1後半には航空無線機はそれなりに(戦闘機クラスまでは行き渡らないにしても)普及していたと考えるべきでしょう。
なお、無線以外の対空通信の方法としては、通信筒があります。これはメッセージを書いた紙を入れた筒を飛行機から連絡先に投下し、あるいは地上に立てたポールにぶら下げた筒を機上からフックで引っかけて受け取るものです。ファックス等がなかったころは、飛行場のない場所から航空郵便や事件現場の写真を急送する手段として多用されていました。
Schump
- 日本軍の場合ですが,地上に大きなT型の布板を置き,更にその板上の各所に三角形の板を置き、その置いた位置が表す意味で連絡をとるというものがあります。(梯形布板というそうです)
畝傍
- 皆様、ありがとうございます。
質問者
南