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古本屋で「丸」紙を見たら、刈谷氏という方の談話では開戦直前の頃陸海軍飛行機の対抗試合は都合3回実施されたとのことですが、3回目のことは各種文献には記録が残っていないとのこと。真相はどうなっていたのでしょうか。2回目までは海軍優勢、3回目は2式単戦が勝ちと書いてありました。海軍関係者はエリート意識が強く、都合の悪いことはオモテに出さない主義なんですかね。(これってヒガミ?) n.o |
- この種の動きは陸海軍間の対抗意識によってではなくて「協調」の為にやっているんです。機種の統一共用化が最終ゴールなのですが、ここへたどり着く前に燃料を共通化し、練習機の共通化案を立案し、と一歩一歩成果を上げつつ動いているんですが、華々しい対抗試合としての雰囲気ばかりが紹介されるものだから「何でまた戦時体制下にそんな悠長な事をしているのか?」というマトモな疑問を抱いている人も多いと思います。勝ちも負けもないんです。
BUN
- 陸海軍合同空戦演習が行われた16年1月、キ43はどのような状態だったか。試作・増試機の改造・仕様統一が終わったばかりで、この時点ではまだその状態での実用実験ははじめられていません。キ44はどうか、というと、やはりこの月から速度向上対策として試作機1機の改造に手がつけられたばかりです。審査部のホームベースである福生飛行場が使えるようになるや否や、まだ万全でないキ43、キ44であることを知りつつ、あえて陸軍側から合同空戦演習を持ちかけた意味を考える必要があるように思います。このコンディション下で行われたのが、試合でも、コンテストでもあろうはずがありません。
片
- 片氏のおっしゃる事が、ほぼ真実に近いと思われます。「刈谷氏」とは、元陸軍飛行第47戦隊・整備指揮隊長、刈谷正意氏でありましょう。BUN、片両氏とは全く異なる切り口ですが、刈谷氏の御人柄から、「3回目」があった事はまず真実でしょう。43ではなく、44のための「3回目」だったのではないでしょうか?海軍側が出してきた機体は、当時最も先端の機体でも、零式艦戦でしょう。それ以外のいかなる機体であっても、44が遅れをとるとは思えません。速度重視の新たな流れを示し、共通化においても陸軍の優位を得る為の「一部」の思惑が行わしめた、「3回目」だったのではないでしょうか。であれば、記録の残らない事も、否残す必要のなかった事も、肯首の範囲内と考えられますが…。
94-II
- >共通化においても陸軍の優位を得る為の「一部」の思惑
いえ、だからそもそもそんな気分など下地になかったのではないか、と申しております。16年度は、十四試局戦の使用を陸軍側で検討している時期です。
片
- >4
浅学にして、陸軍側で使用を検討していたことを知りませんでした。
質問の趣旨からは外れるのですが、詳細をご教示願えませんでしょうか?
J2M
- 三菱に発注予定のキ85襲撃機の計画不調を、十四試局戦に地上襲撃機としての能力も付加したもので埋めようという目論みが陸軍航技研内から提案されています。この案が実現した場合には、火星の陸軍版ハ111には延長軸を備えた型がないので、動力も含めて海軍で開発されたものを移植することになりますが、かえって多量生産上有利ではないか、と、メリットの面を重視してとらえようとされています。
片
- ありがとうございました。
J2M
- あるいは、海軍型にだけ存在する二重反転ペラ(紫雲、強風用)の火星を十四試局戦に積んで、陸軍なりに性能向上してみようというアイディアであるとか。
そんなふうに、「陸軍の優位を得る為」とは反対に、海軍の機材を自軍に取り入れようとしていた形跡が、開戦前の時期の陸軍にはいくつも見つけられます。
そんな空気の中で行われた陸海軍合同空戦演習の意味を考えると、彼らとしてもよほど零戦が見たかったのかもなあ、という気分にかられてしまいます。
片