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知りたい事があります。 「ミッドウェ−開戦」の事ですが前に調べて見たところ延べ数百機の艦載機が出撃されたらしいのですが、生還された方達と言うのは(帰る空母が無く不時着された人達も含め)何人くらいの方がおられたのでしょう。それとあの開戦では日本軍の空母は全滅したのですか?と、すれば一旦飛び立った戦闘機が再び空母に帰って、日本に帰った者は一人もいないと言う事なんですか? あと、個人的に気になった事ですが、あの坂井三郎氏はミッドウェ−開戦には参加されてないのでしょうか? すごいパイロットの方だったとは存じてましたが真珠湾〜ミッドウェ−までの誰でも知り得る「大舞台」的な開戦にはあの方の名前を耳にした記憶がなかったもので・・(無論、それ以外の開戦でもそれに劣らない戦いの場はあったでしょうが、我々、素人が知り得る(少しミ−ハ−敵な)開戦には、あまり名前を耳にした事がないので、それも含め、教えて下さい。 高木 |
- とりあえず分かる範囲内だけ…。
> 日本軍の空母は全滅したのですか?
全滅していません。
この海戦に参加した日本空母は赤城、加賀、飛龍、蒼龍、瑞鳳、鳳翔の6隻が参加していますが、このうち赤城、加賀、飛龍、蒼龍の4隻が沈没していますが、残りの瑞鳳と鳳翔は無事に帰還しています。
もっとも、この沈没した4隻の空母が日本空母機動艦隊の主力をなしていたのですが。
> あの坂井三郎氏はミッドウェ−開戦には参加されてないのでしょうか?
坂井三郎氏は、戦闘機搭乗員のキャリアのほぼ全てを基地航空隊所属で過ごされていますので、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦などの空母機動部隊主体の海戦には参加されていません。
因みに開戦時、坂井氏は台南航空隊に所属されており、主としてフィリピン・インドネシア方面の航空戦に参加された後、ミッドウェー海戦のラバウルに移動されて、そこでポートモレスビー方面の米英豪の航空隊と戦っておられます。
よって坂井氏が空母に乗って海戦に参加されたことはなく、主として基地から発進しての進攻戦や基地上空での防空戦が大半です。
坂井氏の参加した著名な戦いと言えば、開戦劈頭のフィリピン航空戦、ガダルカナルに上陸した米軍への初空襲、硫黄島の攻防戦でしょうか。
この辺りのことは「大空のサムライ」を始めとする坂井氏の著作を読めば大体書いてあります。(書籍が面倒というならマンガ版が講談社+α文庫から出ていますので、そちらをどうぞ)
T216
- >1.
訂正
ミッドウェー海戦のラバウルに移動されて→ミッドウェー海戦の頃はラバウルに移動されて
T216
- 丁寧に有り難うございました。
高木
- ミッドウェー海戦の4空母の搭乗員の戦死者は(生還者でなく)、澤地久枝女史の調査によると、
赤城 7名(戦闘機4、艦爆1、艦攻2)
加賀 21名(戦闘機6、艦爆6、艦攻9)
飛龍 72名(戦闘機11、艦爆27、艦攻34)
蒼龍 10名(戦闘機4、艦爆1、艦攻5)
合計 110名です。最後まで奮闘した飛龍の戦死者が多いですが、その他の艦の搭乗員の戦死者の数は、実はさほどでもありません。
峯雲
- >4.
峰雲さん、フォローありがとうございます。
T216
- ついでに南太平洋海戦や珊瑚海海戦の戦死したパイロット数も教えてくれませんか?
匿名
- >4
飛龍の艦爆、艦攻の損害がともにミッドウェイ時の飛龍の定数を超えているのは、錯綜した状況の中で、他母艦機が混じっていたからなのでしょうか?
Yakisaba
- >7.
4.の「戦闘機11、艦爆27、艦攻34」というのは、「戦闘機乗りの戦死者11人、艦爆乗りの戦死者27人、艦攻乗りの戦死者34人」という意味で、「戦闘機11機未帰還、艦爆27機未帰還、艦攻34機未帰還」と言う意味ではないかと思います。
T216
- T216様のご推察のとおりで、書き込みした内訳は戦死者数の内訳であって、航空機数ではありません。
ちなみに機上での戦死者は、
赤城 3名
加賀 8名
飛龍 64名
蒼龍 6名
で、搭乗員でも機上外で戦死された方があります(前述の数字との差)。
さらに搭乗員以外も含めた空母ごとの戦死者は、
赤城 267名
加賀 811名
飛龍 392名
蒼龍 711名
となっています。数字はすべて澤地久枝「記録ミッドウェー海戦」のものです。
峯雲