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日本人の水上機(飛行艇)乗りで、エースはいたのでしょうか? 撃墜王 |
- 少なくとも甲木清美(かつき きよみ)飛曹長(16機以上。水上機で5〜7機)と松永英徳上飛曹(16機。水上機での撃墜数は不明)の2人がおられるようです。
甲木飛曹長の水上機でのスコアは以下の通りです。
年月日 場所 所属部隊 乗機 撃墜機種
1942.1.11 セベレス島 水上機母艦 千歳 零式観測機 PBY×1
1942.10.4 ソロモン R方面航空部隊 零式観測機 B-17E×1 (体当たり)
1943.8〜10. 占守島 第452航空隊 二式水戦 B-25×1〜2
1943.9.12 占守島 第452航空隊 二式水戦 B-24×1〜2
1944.1. インドネシア 第934航空隊 強風 B-24×1
松永上飛曹についての詳細は分かりませんでしたが、1943〜1944年頃、第934航空隊に所属、二式水戦などに搭乗されていたようです。
また、この他にも河村一郎飛曹長も水上機で5機撃墜を果たしているようです。
河村飛曹長のスコアは以下の通りです。
年月日 場所 所属部隊 乗機 撃墜機種
1942.1. 不明 水上機母艦 瑞穂 不明 ノースアメリカン爆撃機×1
1942.3. 不明 水上機母艦 瑞穂 不明 ノースロップ爆撃機×1
1942.9.20 ソロモン R方面航空部隊 零式観測機 PBY×1
1943.6.30 ソロモン 第938航空隊 零式観測機 B-17×1、艦爆×1
T216
- >1.
1.に追加ですが、「不明」とした1942.1.及び1942.3.時の河村飛曹長の乗機は、当時の「瑞穂」の搭載機から九五式水上偵察機または零式観測機と、撃墜場所は南シナ海もしくはインドネシアと推定されます。
T216
- 複座機の場合は、できれば偵察員も、三座機は電信員までも、紹介してもらえませんでしょうか。お願いします。
偵練出身者
- >3.
1942.10.4のB-17Eへの体当たり時において、甲木飛曹長のペアを務めていたのは、寶田三千穂(たからだ みちほ)飛曹長です。
二人は同じ水上機母艦「千歳」から同時期にR方面航空部隊に転じており、また日本海軍ではペアを変更することはあまりなかったことから、1942.1.11のPBY撃墜時も同じペアだった可能性があります。
寶田飛曹長は1943.1.27に味方輸送船団の上空警戒・対潜哨戒中、戦爆連合約38機が来襲。グラマン 5機と空戦中に発火炎上、自爆戦死されています。
松永上飛曹についてはペアが居たかどうか分かりませんでした。
1943.7.から1943.6.30の輸送船団直衛中の空戦まで、河村飛曹長とペアを組んでいたのは、泉山裕(いずみやま ゆたか)大尉です。
1943.6.30の輸送船団直衛中の空戦で河村飛曹長が負傷したため、泉山大尉は高山泰治上飛曹とペアを組み、1943.7.17にF4U 3機と空戦中に左大腿部と左手中指を負傷し、内地送還され、鈴鹿航空隊教官、重巡洋艦「筑摩」分隊長、302空、201空、名古屋航空隊と勤務し、木更津基地で終戦を迎えられています。
T216
- >4.
訂正です。
誤:1943.7.から1943.6.30の輸送船団直衛中の空戦まで、河村飛曹長とペアを組んでいたのは、泉山裕(いずみやま ゆたか)大尉です。
正:1943.6.30の輸送船団直衛中の空戦時に河村飛曹長とペアを組んでいたのは、泉山裕(いずみやま ゆたか)大尉で、経歴から考えて1943.7.からペアを組んでいた可能性があります。
あと追加ですが、1943.1.27の空戦時に寶田飛曹長とペアを組んでいたのは、浅山良次上飛曹です。
T216