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マリアナ沖海戦や比島沖海戦で機動部隊で使用された爆戦について質問します。零戦21型に爆弾架を装着し25番を搭載可能とした機材が使用されたとのことですが、どのような攻撃法を想定していたのでしょうか。零戦の急降下性能の不足と本来の急降下爆撃機には装備されているダイブブレーキとプロペラ圏外へ投下する爆弾架(正式な名称がわからず表現が稚拙ですみません)が、装備されたとの記述を見たことがありませんので、急降下爆撃は不可能だったのではないでしょうか。どなたかお答えお願いいたします。 坂東武者 |
- 零戦などの戦爆が行った爆撃方法は緩降下爆撃といわれているものです。
日本海軍航空史で説明されている用語では、
急降下爆撃 降下角度四五度以上の降下爆撃。
緩降下爆撃 降下角度四五度以内の降下爆撃。
となってます。
源五郎
- 質問者です。ご回答ありがとうございます。もうひとつお聞きします。30ノットで回避運動する艦船に標準器無しの緩降下爆撃でどの程度の命中率が期待されていたのでしょうか。
坂東武者
- 緩降下爆撃は九八式『射爆照準器』という制式名称が示すとおり、零戦にもともとついてる照準器で照準できます。
まなかじ
- >急降下爆撃 降下角度四五度以上の降下爆撃。
>緩降下爆撃 降下角度四五度以内の降下爆撃。
降下角度がちょうど45度の場合、緩降下と急降下のどちらになるのでしょうか
セミララ
- 零戦の25番は「反跳爆撃」が本来の目的だと聞いています。
だから、緩降下爆撃で実施します。
海鳥
- 爆弾や魚雷を搭載する装置は、投下器と呼んでいました。また、零戦に25番を
積んだのは、艦爆・艦攻の被害が多かったので、艦隊の攻撃力を増すため「戦闘
爆撃機」の構想が生まれたからです。攻撃要領としては、急降下爆撃が無理な為
「反跳爆撃」が採用されたものと思います。これが、「体当たり攻撃」の呼び水
となったとしたら、悲劇の始まりですね。
http://www.warbirds.jp/senri/
蒼空
- マリアナ沖海戦に出撃した爆装零戦は19年春の軍令部要求で特急工事を行ったもので、反跳爆撃と直接の関係はありません。零戦の爆装計画自体はさらに遡れますが、やはり反跳爆撃が目的ではないようです。
そして爆装零戦は確かに代用の応急艦爆なのですけれども急降下爆撃と緩降下爆撃にはそれぞれ特徴があり、急降下爆撃の生ぬるいやり方が緩降下爆撃という訳でもありません。
急降下爆撃
引起しが急な為に降下速度が遅い→撃速小/威力小
引起しが急な為に投下高度が高い→撃速はやや大きくなるが命中率小
緩降下爆撃
引起しが緩やかな為に降下速度が高い→撃速大/威力大
引起しが緩やかな為に投下高度が低い→撃速はやや小さくなるが命中率大
概ねこのような考え方で緩降下爆撃が選択されています。
戦争後期には専門の艦爆も緩降下爆撃に移行する傾向が見られます。
BUN
- 質問者です。回答ありがとうございました。降下角度が深いほど(角度が急なほど)命中率が高いと思っていました。どうやら固定物に対する水兵爆撃と急降下爆撃の比較を艦船などの移動物にも適用できると勘違いしていたようです。ところで米軍でも戦争後期には、緩降下爆撃に移行していったのでしょうか。ミッドウエー時の「真上から襲う」を大和に対しても行っていたのでしょうか。
坂東武者
- 米軍の大戦後半の主力艦爆であるSB2Cは、SBDが行っていたように15,000ftから直上急降下を行うと、機体強度が持たず降下途中で空中分解する恐れがある事から、15,000ftから緩降下で速度を上げつつ目標上空へ進入、6〜7,000ftから急降下に入るという戦法を取っています(投下高度は1,500〜2,000ft)。
なお、大戦末期になると艦爆の代わりを戦闘機が果たすようになりますが、これらの機体はTBF同様の緩降下爆撃を行っています。
大塚好古
- ↑追記。ダイブブレーキに起因するSB2Cのこの問題(分解しなくても高速で急降下すると機体振動が起こり命中精度が低下する。突入高度を下げたのはこの為もある)は、一応SB2C-3で部分的に解決し、SB2C-4では完全に解決を見ています。ただし、この戦法はその後も継続して行われ、終戦時までの標準戦法になっています(対空砲火除けにも役立ったようです<この戦法)。
大塚好古
- 当時、横空の教官をしておられました高橋定少佐の回想によりますと、プロペラ圏外に出して投下する物が付けられていた様です。光人社NF文庫「飛行隊長が語る勝者の条件」45ページです。
オンブー
- 急降下爆撃の方が命中率は高いです。
緩降下の方が投下高度が低くても
弾道が短いとは限りません。
Kleist