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Yak-18の存在意義 UT-1、UT-2練習機に始まり、実戦機Yak-1に発展。 そこから再び練習機のYak-7が派生。 そこからさらに実戦機のYak-9が出て 戦後にはジェット化してYak-15 そして・・一方では練習機のYak-18に発展と Yakは練習−実戦を行ったり来たりですが Yak-18を新たに開発する意義がよく分かりません。 YakシリーズはすでにUT-1、UT-2、Yak-7系と3モデルも練習機があった訳ですし。 もしかしてYak-18は余暇となったYakシリーズの改造なんですか? ケンゴ |
- UT-1(単座)/UT-2はYak-1/3/7/9/11/15/17/23とは全く別系統の軽飛行機/初等練習機/軽攻撃機で、Yak戦闘機シリーズに発展するのは1940年1月に初飛行したI-26試作戦闘機です。
Yak-7は戦闘機型と同じエンジンを積んだ高等練習機として開発されましたが、戦争の激化から多くが戦闘機に転用され、これをさらに洗練強化してYak-9に発展します。
戦闘機型の正常進化型として開発されたのはYak-3で、エンジンの開発遅延等のために主力生産型にはなりませんでしたが、ジェット戦闘機化された15/17/23の原型にもなっています(とはいえ23はほとんど別機ですが…)。
同じくYak-3から派生した練習機がYak-11で、こちらは700馬力のASh-21空冷星形7気筒エンジンに換装されており、中間練習機として使用されています。
Yak-18は以上とは全く別系統の練習機で、小型軽量で運用コストの安い練習機として戦後新たに開発されたものです。むろん、従来のPo-2/UT-1/UT-2に比べると倍くらいの出力(260馬力)のエンジンを積んで、ジェット時代に合わせた高性能練習機になっています。
Yak-18からは、アクロバット機Yak-50〜53が発展していきます。
Schump
- ああ、脳が寝てる状態で書いたらいかんわ。練習機の話に絞ります。
Yak-18は翼幅がYakレシプロ戦闘機シリーズよりも大きかったりするので、「小型」ではないですね。重量は半分以下なので「軽量」なのは確かですが。
エンジンも、初期はM-11後期型空冷星型5気筒160馬力で、Po-2/UT-1/UT-2のM-11前期型100〜120馬力(UT-2の曲技型は160馬力型も登載)から飛躍的にパワーアップした訳ではありません。しかし、ジェット時代にあわせた性能向上ですぐにM-14空冷星型9気筒260〜300馬力になっています。この過程で作られた単座型がアクロ機の系統になっていきます。
Yak-18はライセンス/コピー生産先の中国で独自の発展を遂げ、いまでも南昌CJ-5/CJ-6として初等練習機の座を占めています。
Yak-3系中間練習機のYak-11は、ジェット機の高性能化にともない、60年代後半までには東欧やエジプトでは初等練習機的な位置づけ(前段にYak-18等によるパイロット適性判定訓練を置く場合あり)にされていたようです。また、戦闘機ベースで頑丈なだけあって、退役した機体がアメリカに輸出されて2000馬力級エンジンを装備したレーサーに改造されたりもしています。
Yak-7は、戦闘機として使われて損耗したこと、1200馬力級液冷エンジンの運用コストの高さ、操縦がやや難しいこと等の理由から戦後の練習機としては生き残れませんでした。また、UT-1/UT-2も300機ぐらいしか作らないうちに戦闘機の生産を優先するためにラインを閉じてしまったもののようです。
Schump
- あ・・ありがとうごさいます!!
私の中ではっきりしなかったYak系練習機の系譜がきれいに整理されていて感謝感激です!!
>UT-1、2
言われてみれば全く別の機体ですね。
ヤコブレフ設計室の出世作、ということで私のなかではYak系に分類されていました(w
ケンゴ