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大戦中期以降、日本海軍機は「天山」「彗星」「瑞雲」「烈風」等といった名称とし機種を秘匿する意味があったそうですが、連合軍側にはどの程度それの効果があったのでしょうか? 素人モデラー |
- 18年8月からの新名称付与様式に情報秘匿の効果があったかどうかですが、元々機種の秘匿意図は無かったと思われます。機種と新様式の名称は一般に発表されていますのでそう判断できるのですが、新名称付与様式が秘匿しようとしていたのは制式採用の年度ではないでしょうか。旧様式で年式を含んだ名称の機体はかなり後期、あるいは終戦まで名称を公開していません。
BUN
- BUN様、早速のご回答ありがとうございます。
なお、質問の発端は光人社「写真.太平洋戦争3」の231Pにあります【18年より飛行機は機種別の名が付されるようになったが、これは機種を秘匿するためであり、彗星艦爆などと言っては意味がなかった。このため、改めて彗星艦爆などと言わず、ただ彗星というような命令が出されたりしたものである】
という文があるのですが、いくらそれが事実だったとしても、一度敵側に「彗星=艦爆」「天山=艦攻」という事が分かってしまえば以後は秘匿するつもりで付けた「彗星」「天山」の名称も無意味となり、改めて別名称にいちいち変更しなければならないのではないか?と、思った次第です。
素人モデラー
- 機種名、機体名称と一緒に使ってはならない、と厳命されているものと言えば実用機試製計画番号があります。銀河ならY20、烈風ならM50といった略称「実計番号」です。これらは機種名や略符号と併記することが禁じられています。
新様式の名称で秘匿の為にあえて操作されたと思われるものは十七試攻撃機「南山」とその無浮舟時飛行性能実験機の「晴嵐」でしょう。
BUN
- >3 晴嵐と南山が逆ではないでしょうか。「無浮舟〜」は南山では?
居眠り将軍
- >4 そもそもの名称標準の命名基準を考えてみられたらいかがでしょうか。
攻撃機は「下に山を附す」であり、練習機は「草木名・風季」で「青嵐」もその例としてあげられています。
実際途中までは十七試攻撃機が「南山」であり、陸上機改造型が「晴嵐」と呼ばれています。
それが「晴嵐」のみに統一され、攻撃機型「晴嵐」、陸上機型「晴嵐改」と変わっています。
片
- 少なくとも19年初めまでは十七試攻撃機は「南山」、その陸上型は「晴嵐」です。計画説明書が残っており、両者の名称が上記の如く記載されています。「晴嵐」と「晴嵐改」と言うよりも「晴嵐」とその無浮舟実験機となったというのが適当なのでしょう。
BUN
- ええ、現実にはそのとおりだと思います。
略符号一覧には、一応「晴嵐改」の名もありますもので。
片
- 「紫電」と「紫電改」、「零戦」と「零戦改」(A6M3)のように制式となる名称と改造型に振られた暫定的な仮の名称という関係ですから基本的には「南山」が「晴嵐」に改称されたという認識で良いんです。
BUN