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戦闘機関係の話からはそれますが教えて頂きたい事があります。 以前、とあるサイトをなんとなく覗いていたら<昭和12年(1937年)に名パイロット・飯沼正明飛行士と塚越賢爾機関士により東京〜ロンドン間を94時間17分56秒という、当時としては驚異的な記録で飛行し、日本最初の国際記録(FAI/国際航空連盟が公認した日本初の国際記録)を樹立しました。>と言う内容が記載されてました。 そこで知りたい事は3つです。 @画像で見たんですが、どう見ても戦闘機並の大きさでした。 ジャンボでない事だけは確かです。(笑) では日本を離れてから給油なんかはどうしたんでしょう?きなりロンドンまで行くとは思えませんし、経由はどうしたんでしょう。 A年代から見ても第二次大戦の少し前ですが決して日対米英の関係は当時から見てもあまり良いものでは無いと思われるのですが映像を見る限りロンドンの官僚の方達は日本の飛行成功に皆、手を叩き歓迎している様が写されていましたが、それとは裏腹に日本の飛行横断の成功をこれから先の戦闘態勢に入る!であろう相手国の成功を矛盾した目でとらえてる事はなかったんですか? Bそれはどんな飛行機だったんですか? 詳しい方おりましたら戦歴とは異なりますが教えてください。 6大学外大学生 |
- 陸軍の司令部偵察機、三菱キ-15(のちの 97 式司令部偵察機) 試作二号機が訪英飛行のため朝日新聞社に引き渡され、「神風」号と命名されたものです。機体の形式名は軍用機としての「キ-15」や「97 式司令部偵察機」ではなく「三菱 雁(かりがね)型 通信機」と発表されたので、欧米では KARIGANE としても知られています。
飛行の様子については、下記のページにわかりやすく丁寧な解説があります(サイトの更新が停止しており、帰還編の掲載が無期延期になっているのが残念ですが…)
http://www.ceres.dti.ne.jp/~whorin/hikousi-top.htm
国際関係については、国連脱退が昭和 1933 年 3 月、ワシントン軍縮条約の破棄が 34 年 12 月、2.26 事件が 36 年 2 月、櫨溝橋事件が 37 年 7 月, ノモンハン事変が 昭和 39 年 5 月、日独伊三国同盟成立が 40 年 9 月、真珠湾攻撃が 41 年 12 月という事は少し調べればわかると思います(学生さんなら御自分で調べることは良い勉強になるでしょう)。神風号による親善飛行は昭和 12(1937)年 4 月です。日本が世界から孤立しつつありながらも、まだ平和共存へ向けて一縷の望みが持たれたいた時代だとは思いませんか?
ささき
- (3) について…
キ-15-I 97式司令部偵察機1型
制式採用 1937 年
全幅 12m, 全長 8.49m, 全高 3.34m, 主翼面積 20.36m^2
自重 1399Kg, 全備重量 2033Kg
エンジン 中島ハ-8(94 式) 空冷 9 気筒星型 550hp x 1 基
プロペラ 固定ピッチ式金属製2翅 直径 2.9m
燃料搭載量 851 リッター/87 オクタン
潤滑油搭載量 72.2 リッター(カストール油)
最大速度 480Km/h 高度 4000m
巡航速度 310Km/h 高度 4000m
着陸速度 120Km/h
航続距離 2400Km
上昇力 5000m まで 8 分 27 秒
実用上昇限度 11400m
武装 7.7mm 旋回機銃 1 挺
乗員2名
1937 年当時の欧米の新鋭戦闘機の速度は、
カーチス(米) P-36 500Km/h
スピットファイヤ MK.I(英) 560Km/h
メッサーシュミット Bf109E(独) 560Km/h
フィアット G.50(伊) 480Km/h
ドボアチーヌ D.520(仏) 540Km/h
といったものでした。97 司偵の速度はこれらに比べ同程度ないし1割ほど劣っていますが、2人乗りで戦闘機の倍ほどの航続距離を持つ偵察機としては驚異的な高性能と言える傑作機でした。
ささき
- ご丁重に説明頂き有り難うございました。
本人
- (2)については、エドワード8世(後のウインザー公)の戴冠祝賀行事だったことも、大きく影響していると思います。
カンタニャック