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北海道開拓記念館に展示されている木製の翼一部はどの機種の物でしょうか、また落下タンクは統一タイプと思うので装着できる機種は多いかもしれませんが教えて頂ければ有り難いです。 写真はhttp://www10.ocn.ne.jp/~a6m232/の(零戦残骸他)に掲載掲載しています。 A6M232 |
- URLを辿って見ても木製の翼の写真を見つけれませんでしたが
おそらく記念館にあるのは陸軍戦闘機のキ106だと思われます。
昭和19年10月に試作機開発を中止し、即戦力として使用可能でしかもジュラルミン不足を想定して木製機体に比重を置いてを生産するようになりましたがその結果防衛戦にふさわしい近距離戦闘機として(キ84「疾風」)が重点生産機種として白羽の矢が立ちました。
こうして出来たのが立川飛行機の設計によるキ106です。しかし中島飛行機も取り組んでいた木製のキ113もやはり重さには勝てず失敗作でした。
タンクは専門外なので誰かお願いします。
ふすまぁに
- ふすまぁにさん丁寧なご回答ありがとうございます。
写真は私の手違いで見れない状態でした、すいません。直しましたので見てください。
A6M232
- http://www.warbirds.jp/truth/cgi-bin/di.cgi?start=420&pass=
これは、さる高名な研究家の日記です。
2000年10月22日の記述を信じる限り、北海道開拓記念館の展示物は「木製疾風」ではありません。
この日記、かなりふざけた書き方をしていますが、この件に関しては"真実"かと思われ・・・
信じていいんですよねぇ、BUNさん。
中村
- おぉ、やっと見れました。
なぜ私が写真もないのに回答できたかと言うと・・・地元だからです(^^
と言うわけで本題に・・・
中村さんのレスやBUNさんによると「木製疾風」ではないんですかぁ。戦争末期に製造された木製航空機というと疾風をどうしても連想してしまう上に何回か見にいった事があるものですから錯乱してしまいました。でもキ106でないとすると・・・キ113かキ116ですかねぇ?そうでなければ航空機黎明期の代物となりますが・・・
BUNさんの解答を待ちましょう。
ふすまぁに
- ン? 普通に写真見れますよ。
別のサイトでも紹介されていますが、キ−106(木製疾風)となっています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki4/kaitaku/kaitaku.html
ちなみにキ−113は、鋼製の疾風です。
クリスティー
- 皆さんありがとうございます。流石に素晴らしいサイトです。
私も木製疾風と思っていたのですが知人からの指摘で興味を持ち調べだしました。キー106は私が思った以上の戦闘機で1号機で六百十四キロも出たのですね、よく考えて見ると展示の主翼構造ではとても耐えられそうにありません。(私の素人考えですが・・)
しかし開拓記念館で展示されている物は疾風でなくても木製として素晴らしい技術で作られており私は工作が好きなので、非常に憧れてしまうのです。
ですのであの構造ではどの様な機種に当てはまるかも非常に興味が湧くのです。
自分で深く調べもせずに皆さんに聞いてしまい申し訳ないですが、何か情報が在りましたら宜しくお願いします。
A6M232
- 取材そのものは極めてマジメにやっております。
あれは工業試験場で製作された見本とのことでした。
増槽も疾風用ではありません。
統一増槽三型に近い形状をしていますのでそれに準じたものだと思います。
また、増槽はあれだけではなく他に確か二個程度収蔵されているとのことです。
キ106については江別市教育委員会「叢書 江別に生きる 木製戦闘機キ016」に詳しい記述があります。内容もほぼ正確です。
BUN
- 中村さんご紹介のさる高名な研究家の日記楽しく読ませて頂きました紹介ありがとうございます。
ましてご本人からも明確なご回答で更に有り難いです。(^^)
実用品で無かったのですね、その点では私的には残念ですが素晴らしい品には変わりないです。増槽もBUNさんがおっしゃる通り展示品の他に同じ物でカットモデルタイプが写真で確認しました。是非それも展示して頂きたいと個人的に思ったしだいです。統一増槽三型に近い形ですか、勉強になります。ありがとうございます。
あの主翼はよく見ると翼前縁に釘らしき物と、翼端には木ネジが使われていました、キ106はどうだったのか興味が湧くところです。
ご紹介の書籍ですが江別に行った時早速購入して読んでいる最中です。
違う話になりすいませんが、さる高名な研究家さんの日記を読んでいて武山の格納庫で私と共通点がありました。私が15年あまり仕事をしていた工場は武山からの格納庫を移転した物だったのです、昔は零戦とか旧軍機が入っていたのかな?と考えていましたが違うのですか?話が外れてすいません。
A6M232
- 武山の格納庫は飛行機を収容してはいないと思います。武山の南の丘にあった第一(第二)横須賀ともうひとつ南の丘にあった第二(第三)横須賀航空基地もほとんど使用されていません。飛行機の収容は誘導路を伸ばした掩体で行う予定だったようです。第一(第二)横須賀に三〇二空が一時的に進出した記録があるのみで、武山に関しては本格的な飛行場は無かったので飛行機が格納されていた可能性は低いのではないでしょうか。但し、飛行場は無くとも特攻機の突入威力の測定等の実験は行われていましたし、桜花四三型の基地でもありましたから可能性は全くのゼロとは言えないかもしれません。
BUN
- BUNさん判りやすい回答ありがとうございます。
武山はその様な経緯が有ったのですね、戦後移転された格納庫は思い入れの在る仕事場でしたので興味が尽きません。
戦中、戦後5〜6年までの武山格納庫写真は書籍等で見れるのですか?
もしありましたら教えて頂ければ幸いです。
それと私の知人が撮影場所不明の米軍進駐後格納庫前で展示されている桜花の写真を持っています。その桜花が43型ならば武山の可能性が在るのでしょうか?
色々とすいませんが宜しくお願いします。
A6M232