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3215 陸軍戦闘機の開発順で九七戦→隼(軽戦)・ショウキ(重戦)→疾風となりますがこうして見ていくと長距離戦闘機の屠龍の採用は分かりますが、飛燕はどうして採用されたのかよくわかりません。採用の理由を教えてください。
素人

  1. 陸軍は昭和11年頃から将来の戦闘機が高速重武装化する、という見通しを海外視察によって得ています。九七戦の開発で従来の複葉戦闘機から画期的な高速化を果たした後、兵器研究方針の中で戦闘機のカテゴリーを軽単座戦闘機、重単座戦闘機、複座戦闘機の三種に分け、爆撃機の邀撃には使えない対戦闘機戦闘限定の軽武装、比較的短航続距離の軽戦闘機(それ故に小馬力エンジンで実現できる)と爆撃機も撃墜できる重武装、高速で軽戦闘機より航続距離の長い重戦闘機(世界水準の大馬力エンジンが無ければ実現できない本格的な戦闘機)と複座戦闘機という概念を大東亜戦争初期(中期に軽戦、重戦の分類が廃止されています)までの戦闘機開発の基本としています。このように軽戦、重戦のカテゴリー分けが生まれた背景には航空エンジン開発の遅れという問題があり、空冷の戦闘機用大馬力エンジンの見通しがつくまでは、今後の高速戦闘機には水冷のエンジンが望ましいという考えが根強かった為にDB601系エンジンが輸入され、それを搭載した将来の水冷重戦開発に向けての実験機が「重戦中間機」としてのキ六〇になり、軽戦闘機としてキ六一が製作されています。キ六一は水冷重戦開発過程で生まれた過渡的な存在と位置付けられる機体です。陸軍はこれらをベースにした高速水冷重戦の為にエンジンをDB603、DB605などへ発展させる計画を持ち、武装面でもMG151/20の大量輸入を昭和17年に計画し、ドイツ側の了解も得ています。
    また、陸軍の戦闘機開発の主流は開発史的に見れば九七戦→二式戦→四式戦の流れが本筋で、一式戦は遠距離戦闘機としてかろうじて採用されたという経緯を持ちます。
    BUN


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