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始めまして、UWAと申します。 わたくしの父は、甲飛13期生前期(松山空)として、予科連に入隊しました。 その後、山形県の神町航空隊で終戦を迎えたとのことです。 父はまだ存命なのですが、当時の事を断片的にしか思い出せない状態です。 神町航空隊のことを教えて頂きたいと思い投稿させて頂きました。 どうかよろしくお願いします。 宇和川 智 |
- (たいしたことはわからなかったのですが)
神町航空隊は教育飛行隊で、装備機は九三式中間練習機が主だったようです。現在、同地には陸自第六師団司令部がおかれています。
ぽぷら
- 地元です。ちなみに神町飛行場は現在の山形空港になっとります。小さい頃は神町空港と呼ばれてました
Yakisaba
- 甲飛13期生出身の方が「若桜友苑」というホームページを開いています。
ここの掲示板に書き込みすれば、情報が得られると思います。
http://www.hi-ho.ne.jp/tosio-okuno/
蒼空
- 予科練は本科あっての予科で、本科というのは飛行訓練です。飛行士になることを前提として、学科や体力づくりをあらかじめ若い子に授けようというのが予科練です。飛行訓練に進むとまず練習機の課程があって、次いで実用機での訓練を行います。
甲飛十三期生(第一次)の入隊は昭和十八年十月でした。神町航空隊は昭和十九年十二月十五日の開隊で、担当は陸練とありますから、まさに練習機を使った教程だったのでしょう。末期になると燃料不足で全国的に訓練も滞ったようですから、実用機課程に進めぬまま終戦になったのだと思います。
マイソフ
- 甲飛13期で実用機教程まで進まれたのは、松山空の戦闘機隊だけとのことです。神町空は中錬教程でした。終戦近くには松島空の陸攻隊の一部も展開していた様です。
神町空の教官だった方のお話だと、九三中錬に使用したアルコール燃料は気化点が低く、シリンダー温度が低下するので、保温のためにシリンダーの間に石綿を詰めて飛行訓練をされたそうです。
電材屋
- 情報を頂きました皆様、ありがとうございました。 とても参考になりました。
ぽぷらさま> 父も赤とんぼだったと申しております。
Yakisabaさま> 確かに神町という地名を探ると山形空港付近ですね。
蒼空さま> 若桜友苑さまには現在色々とお世話になっております。
マイソフさま> そのとおりだと思います。 父も赤とんぼ以上には搭乗していなと思います。
電材屋さま> ”神町空の教官だった方”は現在もお元気なのでしょうか?
父が神町航空隊に配属されるまでの道のりは下記のとおりです。
もし、下記のような経歴をお持ちの方をご存知でしたら情報をお寄せください。
松山
↓
飛行訓練のため船舶(さんとす丸)でフィリピンに向かうも途中で攻撃に遭い
辿りつけなかったと申しております。
↓
台湾かどこかの航空隊に仮入隊したと申しております。
↓
神町航空隊
よろしくお願いいたします。
宇和川智(UWA)