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彩雲の量産型は胴体側面の塗り分けが途中で変わっています(例/偵11だと762-26と762-34の間で変わっています)が、これは紫電などと同様に製造工場の違いなのでしょうか? 電材屋 |
- 彩雲の最終組立はたしかに2箇所で、初期には小泉製作所で、後に半田製作所で行われています。
ただ、確認できるのは小泉では19年4月完成分までの19機のみ、つまり試作機と増試機だけです。以降19年7月末完成分からの量産機は半田製ということになります。
下面色灰色が水平尾翼に達している塗装パターンのものは、マリアナで米軍に鹵獲された121空機にも見られ、これは時期的に小泉製に間違いありません。偵11へも小泉製試作機が配備されていると云われており、偵11が762空に配属された後に振られた機番号762-13、16、22、26がそれに当たる可能性はあります。ただ、それにしてはちょっと機数が多すぎるのかも、という気もしないではありません。内地に残存していた121空の残機が偵11に送られていたのでしょうか。
片
- ちなみに、「増加試作機までは偵察席の側方撮影窓があり、量産機ではない」という説がありますが、マリアナの「121-101」号機の写真で明らかなように小泉生産分でもこれは廃止されています。
側方窓のある「コ−C6−4」号機は、従来云われていた製造番号14号機ではなく、「中島第14号」つまり、製造番号4号機なのです。
片
- ええと、それから、彩雲には日飛でも生産があったように書かれている文献もあるのですが、日飛で作られていたのは「瑞雲」であり、これの生産数が混同されているのではないかと考えています。
片
- 片様
早速のレス、ありがとうございます。旧版世傑での記述に?なところがあったのでこれで納得が行きました。
機材の供給は部隊によって偏りがあったかも知れませんが、よく考えてみれば実施部隊での写真は、ごく限られた部隊のものしかありませんね。
電材屋
- 偵11の発足当初、131空時代の彩雲の写真が出て来たので眺めてみましたが,やはり「121-101」と同じ塗装パターンのようです。時期的には19年の7〜9月頃なのでボーダーライン上ですが、下面色が水平尾翼まで山状に盛り上がった
塗り分けは初期のものと考えて良さそうで、おそらく電材屋さんのご推察が正しく、これは小泉製の機体の特徴であるのでしょう。勉強になりました。
事情は天山も同じですので、天山にも2種類の塗装バリエーションが見つかるとより確からしさが増すのではないかと思うのですが、写真が少なくて道が遠そうです。
片
- まぜっかえしてすみません。
旧版世傑(1977-2 No82)見てみると、
>下面色灰色が水平尾翼に達している塗装パターン
21-101「テニアン」にて
141-35バンバン(フィリピン)にて20-1-24撮影
762-03バンバン(フィリピン)にて20-1-24撮影
の3機と、
ヨD−232とヨD−???厚木にて昭和19年末
762-26と762-22鹿屋にて昭和20年2月
がありました。
さて、彩雲はマーシャル偵察で実戦デビューを飾りましたが、マリアナ沖海戦前後(5〜6月)で21-101号機を含めて少なくとも8機が空中・地上で失われています。
>小泉では19年4月完成分までの19機のみ
ということであれば、残りは11機となります。そうであるとこの11機が数少ない写真に何機も現れてくる、というのはかなり難しいのではないでしょうか。
川崎まなぶ
- あとは11号機が東京湾に墜ちてますね。
だから、残り10機、です。
ということになるのですが、じゃあ、この数字が正しいのか、と。
で、実はこの「小泉生産分19機」という定説ですが、月別生産数表から見ると、18年8月以降の分だけの合計数ということになってるんです。彩雲1号機の初飛行は5月ですね。つまり極初期の試作機が計上されていないか、または別の月度に算入されているかどちらかということになります。
天山の場合も同様に3月初飛行なのに、同じ表には8月分からしか載っていません。それからさらに同じ表での二式水戦には16年度(17年3月まで)分10機程度がすっぽり抜け落ちています。
どうも、戦後に伝わって小泉の生産数の根拠となっている数字自体が怪しいのではないか。彩雲にしても、小泉での生産数は19機よりももっと多かったのではないか、とここで説をひとつ提唱させていただきます。
ということでいかがでしょうか。
片
- 実は個人的には、彩雲の塗り分けのことよりも、「中島小泉の生産数の定説は少なめに云われている」ということの方により自信があってしまったりするのです。
片
- 762空機は121空機材を引き継いだと思われる偵11、302空の彩雲は横空偵察機隊から受け入れた機体(渡辺洋二さんによる)だとすると、それぞれ比較的初期の彩雲を持っていても辻褄は合うところですね。
少しこだわってしまうのは、日本海軍機では工場ごとに塗装を替えて識別するのが基本的ルールのようなところがあるからなんです。
片
- しつこく(笑)。
「141-35」はさらにその上に「A」が付されていることからすると偵3の所属機だったもののように思え、偵3については渡辺洋二さんの著作中に、横空審査部から3機を受け取った旨の記述があります。
片
- >偵3の所属機
渡辺洋二さんの著作「遙かなる俊翼」にフィリピンへ進出した彩雲装備の部隊について一三一空偵一二と一四一空偵四と書かれています。(P.200)
これが本当であれば、この飛行機は偵4の装備機、と言うことになると思います。
川崎まなぶ
- ほんとですね。
同じページを読んで縦に並んだ「一二」が「三」に見えてしまっておりました(笑)。
片
- 半田の1号機が7月末工場完成なので、通常整備に時間がかかりますからおそらく9月上旬までは部隊に回って来てないのではないかと思うのです。
この時期以前のもの、つまりほぼ確実に小泉製である程度行方がわかっているのが15機。これは塗装の如何に関係なく。
初期型と思われる塗装パターンの機体写真は確かに多すぎるのですが、762空機が4機まとめて写っていたりもしますので、偶然写りすぎているだけなのかもしれません。
この両者の合致(または非合致)のためには、もう少し調査を積んだ方がよいのだとは思いますが、今のところ決定的な否定要因は見つからないようです。
片
- 偵11について 〜戦時日誌より〜
8月6日横空より彩雲2機を受け入れましたが、何時の間にやら1機減ります。その後8月中旬から下旬にかけて鈴鹿から2機を受け入れたと思われ3機になります。8月末に木更津から1機を受け取り9月1日に彩雲4機が確認できます。
4機中単純に考えると2機が量産機(半田工場製は鈴鹿受け取り)の可能性が大きく、残り2機が小泉製の可能性があります。下旬の木更津受け取りは6日受け取った1機を修理にだしていたんじゃないかな、とも思います。
名称は「彩雲一一型」と記述されています。
川崎まなぶ
- 小泉の彩雲、22機かもしれません。
片