3084 |
議論ボードの過去ログをみてると三式と五式という題で五式戦が欠陥機みたいに書かれてましたが 本当に五式戦は欠陥機ですか? kan |
- 昔、丸で「隼と飛燕」という題の号がありましたが、空冷にしたことでエンジンが軽くなり、その分後ろに積んでいたバラストもとれて軽くなり、設計時のバランスに近づいて速度が落ちた以外は良かったと書いてありました。
(もしかしたら土井技師のコメントだったかもしれませんが記憶にないので何方の言葉かは判りません)
部外者
- その過去ログを教えてください。
j2
- 議論ボードの過去ログ目次1の下の方にあります
kan
- 何処にも欠陥だとは書いてないと思いますが?
単に大した事の無い戦闘機で、ハイローミックスのロー担当。
日本陸軍の重戦(何でもできる万能最強戦闘機)と軽戦(低レベル)の組み合わせにおいて、重戦の疾風と組み合わせる、補助的戦力としての軽戦が三式・五式戦であり、その役割においては一定の効果を発揮したと、それだけの事でしょう。
SUDO
- >4
帝国陸軍が呼ぶ重軽は主に翼面加重の違いから来る物であって、用途ではないと聞き及んでおりますが、いかがでしょうか?
土井技師は重戦のキ-60、軽戦のキ-61を平行開発したのち、採用決定したキ-61については独自に中戦とも言える性格を持つように仕上げていったとの事です。
kazz
- 「重単座戦闘機」と「軽単座戦闘機」の違いが翼面荷重にあるとは陸軍関係のどんな書類を見ても書いてありません。兵器研究方針では武装と各種性能要目の優先順位が異なるとは定義されていますが翼面荷重に言及したものはありません。またキ60の位置付けは「重戦開発目的の中間機」です。でなければ陸軍は同じエンジンで「重単座戦闘機」と「軽単座戦闘機」を開発するという奇妙な開発を行ったことになります。
BUN
- >6
そうでしたか、失礼しました。スキーで転んだときに頭でも打ったかもしれません。(^^;
市販の書籍の斜め読みではまずいですね。まったく。
kazz
- 軽戦が補助戦闘機で重戦が主力戦闘機ということをBUN氏の意見で初めて知ったしだいです。私の持っている「日本軍用機の全貌」にもキ44、キ60、キ61などを重戦、軽戦で区別した記述がありますが、この本は昭和30年の発行で当時まだ社会的に現役だった大戦当時の有名設計者や軍航空関係者が資料提供や助言をしている本ですが、戦後の航空ジャーナリストが翼面荷重の大小で重戦、軽戦を区別するようにデッチあげたとは思えないのです。少なくとも設計関係者は翼面過重で区別していたのではないでしょうか。キ60とキ61の問題はキ60で最大速度600キロ/時のBf109のような戦闘機を作ってみたかったけれど実際は555キロしかでなくて、一方キ61の方は520〜530キロぐらい(要求性能は550キロ)と思っていたのが思わぬ高性能が出たということで、必ずしも奇妙な開発とはいえないのではないでしょうか。陸軍と海軍では違うでしょうが、主力戦闘機の零戦を重戦と分類しづらいものがあります。
いっちょかみ
- だから重戦・軽戦の区別が有ったという事と、それが翼面荷重の数字というのはイコールじゃないんです。
なぜなら翼面荷重は世代が経るにつれて増大するのですから、そのまま進んだら全ての戦闘機が重戦になってしまいます。
重軽の区別は能力や目的によるものであって、たかが一つの数字によるものではないのです。
勿論「軽戦闘機」が重戦闘機よりも翼面荷重で小さい傾向はあるでしょうが、それは能力や任務による設計の違いによる結果であって、翼面荷重が重軽の区別の基準では無かったという事です。
SUDO
- 重戦、軽戦の区分は「兵器研究方針」という文書で実際に詳しく読む事ができます。この二つのコンセプトがある年度に制定された兵器研究方針から曖昧な形であらわれ、ある年度で詳細になり、ある年度で重戦、軽戦は無くなり、コンセプト的には重戦に統一されるという流れが誰でも読めると思います。
しかし、現在では閲覧可能な「兵器研究方針」も「有名設計者」が果たしてそれを読んでいたかどうかは怪しいのではないでしょうか。私は「兵器研究方針」のような機密文書は業者の設計担当者が読める種類の書類なのでしょうか。
結論として、設計者の方々は「重戦と軽戦の定義を知らない」と言うことだと思います。私も何人かの設計者や技術関係の方々のお話を聞いた事がありますが、どなたも要求仕様は知っていても、そうした文書は存在さえ御存知ありませんでした。
これは「設計者はどれだけの知識を与えられて仕事に従事していたか」という、また一つ面白い問題ではないかと思います。
BUN
- 重戦、軽戦の区分は「兵器研究方針」という文書で実際に詳しく読む事ができます。この二つのコンセプトがある年度に制定された兵器研究方針から曖昧な形であらわれ、ある年度で詳細になり、ある年度で重戦、軽戦は無くなり、コンセプト的には重戦に統一されるという流れが誰でも読めると思います。
そして重要なことなのですが、重戦、軽戦というコンセプトは「兵器研究方針」上、ごく限られた期間のみ登場するだけなのです。戦後、この区分が飛行機の特性を語る際に便利な為、色々な意味付けが行われて一人歩きしていますが、その時に語られる重戦、軽戦と日本陸軍が実際に構想した重戦、軽戦とは別のものと考えるべきでしょう。
しかし、現在では閲覧可能な「兵器研究方針」も「有名設計者」が果たしてそれを読んでいたかどうかは怪しいのではないでしょうか。「兵器研究方針」のような機密文書は業者の設計担当者が読める種類の書類なのでしょうか。
結論として、設計者の方々は「重戦と軽戦の定義を知らない」と言うことだと思います。私も何人かの設計者や技術関係の方々のお話を聞いた事がありますが、どなたも要求仕様は知っていても、そうした文書は存在さえ御存知ありませんでした。
これは「設計者はどれだけの知識を与えられて仕事に従事していたか」という、また一つ面白い問題ではないかと思います。
BUN
- すみません、二つ上の発言、ミス投稿してしまいました。
BUN
- キ60の開発意図ですが、この機体が「重戦中間機」であることは陸軍航空本部関係の史料に書かれていることです。この試作戦闘機は本来の意味での重戦では無いんです。この時期、ドイツ式の水冷とは言え、たかだか1000馬力の発動機で重戦闘機を仕上げるつもりは陸軍航空本部にも無かったという事でしょう。
開発コンセプトが異なる陸軍機と海軍機を比較するには多少の無理がありますが、零戦の場合、軽快なイメージとは異なり高速と重武装が開発のテーマとなっていますので隼との違いをそこに見るべきではないでしょうか。隼と零戦は基本的に同じ発動機を搭載した戦闘機ですけれども零戦は当初の瑞星発動機を開発中により大馬力の栄に換装した上で更にその初飛行直後に発動機を栄12型から換装するよう求められています。この戦闘機は更に高速であるべきだと思われていたのです。
BUN
- そういう文書があるのですか。その文書に基づいて軍需行政が行われていたのでしたらなんですが、一部の技官しか知らない内部文書だとしたら何の意味も持たないのではないのでしょうか。私が知っている軽戦、重戦の定義はクルクル旋回して敵の後方につく、いわゆる巴戦の得意な戦闘機が軽戦で、上空よりハイスピードで攻撃してさっと離脱するタイプの高翼面荷重の戦闘機を重戦であると思っています。現に主力戦闘機になるべき隼にも九七戦と同等の旋回性能を要求しています。これを実現するには当時は翼面荷重を低くするしか方法がないと思います。大戦に入ってドウリットルの東京空襲以後は万能戦闘機と補助戦闘機を区別するという余裕など感じられません。疾風と烈風がそれに当たるのでしょうが、あとは本土防空のための海軍でいう局地戦闘機ばかりで、重軽どういうふうにいっていいのかほんとうに判然としません。
いっちょかみ
- 要求仕様が何の為にどのように決められるものなのか、順を追って調べて見るべきではないでしょうか。そうすれば、「一部の技官しか知らない内部文書」ではなくて、「設計者がこんなことも知らされていない」という事がわかります。設計者は万能ではなく、機体のデザインを要求仕様に沿って仕上げることを命じられ、それを軍の指導下でこなす事を命じられた一エンジニアに過ぎません。堀越二郎さんが戦時中に書かれた書類を見ても海軍で「兵器研究方針」に当る重要さを持つ「航空機種並性能標準」や技術会議レベルの動きはほとんど知らない様子です。
「私が知っている軽戦、重戦の定義はクルクル旋回して敵の後方につく、いわゆる巴戦の得意な戦闘機が軽戦で、上空よりハイスピードで攻撃してさっと離脱するタイプの高翼面荷重の戦闘機を重戦」との認識は基本的には正しいと思います。けれどもそうとばかりは限らないのです。それは重戦と軽戦は何処が異なる、という定義が改訂され続けているからです。
私は隼はあと20から30km/h速ければ何の文句も無く採用になったと思います。旋回性能で劣る機体を採用できないとしたら九七戦は何故複葉機の後継機になれたのでしょう。変化の規模は九五式→九七式のほうが、九七式→一式よりも大きいのです。そして勿論、九七戦は「軽戦」などではありません。
そして重戦と軽戦を区別するのは余裕があるからではなく、軽戦を造らざるを得ない状況がある為に造っているのです。陸軍の調査団が欧州で何を見て来たか、彼等が将来の戦闘機に対してどのような展望を持っていたかをよく調べてみようではありませんか。
BUN
- パイロットによる評価が軍中央の意志と必ずしも一致しないことも要注意かと。また、パイロットの評価も時間と共に変わってゆくものです。坂井三郎氏もはじめて見た零戦を「カミソリのように研ぎ澄まされた96戦にくらべて水増ししたような、大柄で鈍重そうな飛行機」との印象を持ち、実際に模擬空戦では96戦に全く勝てず失望したそうですが、零戦に乗り慣れてその真価を引き出せるようになった後は96戦を「時代遅れの飛行機」と断言しています。
ささき
- 何かの本(書名失念)で「旋回性能が劣っていてもその分高速ならば実際にはより早く旋回することができる」とありました。
具体的な旋回半径を知らないので何とも言えないのですが、九七式戦はそこで九五式戦を上回ったのではないでしょうか?
あ、でもキ28はどうだったんだろう…
Seraphic-gate
- 17
>あ、でもキ28はどうだったんだろう…
キ27vsキ33は
---------------キ27-------キ33
旋回半径(右)---86.3m-----111.3m
旋回半径(左)---78.9m-----110.2m
旋回時間(右)---8.1秒-----9.5秒
旋回時間(左)----8.9秒-----9.5秒
だそうです。
参考文献:航空情報別冊 太平洋戦争 日本陸軍機
バウアー中尉
- すいません
上記において、キ33じゃなくてキ28です。
バウアー中尉
- >18
ありがとうございます。
光栄の「日本陸海軍計画機」のP24に
「同機(キ28)は高速により旋回半径が他の2機より大きくなる(中略)旋回半径が大きくても高速により旋回に要する時間は、さほど大差ない」とあります。
ということはキ28も旋回時間は10秒程度だったのでしょう。
問題はキ10とキ43がどうだったか、ですね。
Seraphic-gate
- おっと・・・
そうでしたか。
書いた後にそういえば、と。
キ10とキ27の時は旋回時間で判定し、キ27,28の時は旋回半径で判定するなんていい加減だなぁ・・・
違いますね。キ10とキ27の時は世代交代が必要だったはずです。総合的に見たらあまりにも差がありますから。キ27,28の時は同世代です。陸軍の視点から見た時、速度の「微々たる」差より旋回半径、時間の差の方が重要だったのでしょう。今の我々の後知恵とは逆になりますが。
Seraphic-gate
- 重戦闘機と表現された機体を見つけました。キ-96とキ-102改です。二式複戦「屠龍」も二式重戦闘機と表現する場合もあったようです。これは重爆と同様、全備重量によるものと思いますが、このように正式に重戦闘機という言葉が使用されているのに、万能戦闘機を重戦と表現するのは変ではないですか。世界的には万能戦闘機はP-40やハリケーンのようになんでもやらされるタフな機体のことをいうように思いますが。
いっちょかみ
- >22. ですから、陸軍の計画書に現れる固有名詞としての「重戦」という言葉の定義と、一般名詞としての「重戦闘機」という言葉は必ずしも同じではないんです。
ささき
- >2いっちょかみさん、キ96も、キ102も重戦ではありません。重戦、軽戦とは別のカテゴリーの下で開発された別用途の機体です。別の計画で別のコンセプトに沿って造られた別のカテゴリーの機体を「重単座戦闘機(重戦はこの言葉の略称ですよ)」と呼ぶなら、それはただの誤用です。
BUN
- >いっちょかみ様
少し噛み砕きます。
メーカーの設計者は受注を受けて仕事をします。
発注は誰が行うか。
官側です。
そこには、当然「こういう目的のために使うこういう飛行機が欲しい」という明確な意図があります。
BUNさんが云っておられるような書類はその意図を書き記したものです。
意図として2種類の戦闘機を同時に欲しい、それを『軽戦』と『重戦』と呼んで定義付けることにする」
以上が意図。そこには重要な戦略的意味が含まれるがゆえに(だと思うのですが)、そのままの形で軍の末端や、なかんずく民間へ流布させるわけにはいきません。
そこで、概念は数値に噛み砕かれます。
速度、これくらい。上昇限度、これくらい。航続距離、これくらい。
こうしたものが「要求」としてメーカー側に提示されます。
したがって、大戦期の日本の設計者のほとんどは、『軽戦』『重戦』という用語の「発注側で定義されていた本来の根拠」を知らない。戦後もそれは大々的に公表されたわけではないので、知らないままに過ごす。
官側の要求を作成した担当官の名を何人も上げられる人はそうはいないと思います。戦後に至っても表立たなかったから。戦後マスコミによって注目を集め、発言の機会を得たのは現場の技術者の方です。彼らは「彼らなりの定義」で「軽戦」や「重戦」を語ろうとする。だから「中戦」などという折衷語すら現れる。それは世の中に広まったが、その背後にある「本来その飛行機が必要とされていた意図」は現れない。
しかし、その特定機種について語ろうとするなら、一面である現場サイドの声だけでなく、より本質に近いところにある「目的」「意図」をも視野に入れて話をしなければ、片手落ちになってしまわないだろうか。あるいはむしろ重要なほうの側面を欠いたままになってしまうのではないか。
ここでの議論はそういうことだと思います。
片
- それで上の書き込みをしてから今頃になってですが、陸軍航空本部の兵器研究方針関係の史料に目を通してみました。
なるほど、翼面荷重のようなことはそこにはなく、初期には「単座戦闘機」について「銃・砲搭載の二種につき研究す」とあり、この搭載兵器による分類が年度を追うにしたがって「軽単座戦闘機」「重単座戦闘機」となってゆく様が見て取れました。カテゴリー分けの出発点が、搭載兵器が「機関銃」か「機関砲」かという点にあるのは間違いなさそうです。(その用兵的意味づけについては勉強不足なので控えます)
重戦の系列でははじめ要求が「機関砲1」だけだったものが「銃砲併用」と変化してゆく様は、任務が重層性を帯びてゆくのが垣間見えるようでなかなか興味深いです。
さらに云えば、その機関砲がはじめは「1」であったものが、やがて「2」に改訂されて行くことにも、キ60とは何だったのかを考えさせられて、これもなかなか。
片
- しっつこくて申し訳ございません。ほぼ同時期に仕様書が発行されて、違った性格の戦闘機が開発されていたのでしたら、皆様のおっしゃっていることは理解出来るのですが、一式戦以降はとにかく米英の航空兵力に打ち勝つために、その時期に出来る最高の戦闘機を官民とも開発することに努力しているようにしかみえません。ただ一式戦と二式戦、二式複戦それとキ60とキ61にBUN氏がおっしゃっている区分ができるかもしれません。でもこの場合でもどちらが重要な戦闘機でどちらが補助的約割をになうのかを分類してもたいした意味はないのでないでしょうか。官側で定義したものより土井技師のつっこみ速度と運動性を両立させようとした3式戦を「どちらかというと中戦として開発した」という言葉の方がふさわしいような気がしてなりません。この時期官側がどういう性格の機体にすべきか内輪でかなり混乱していて、ないものねだりの仕様書が発行されたと聞いていますが、これも戦後の設計者たちのいわれのない軍部批判だったのでしょうか。
いっちょかみ
- >27
鍵はキ番号にあります。
キ43「一式戦闘機」とキ44「二式戦闘機」はつまり同時期の飛行機なんです。
片さんが述べられたように、銃を武装とする「軽単座戦闘機」であるキ43は従来のキ27と武装の面では進歩が無く、実際の機材に至っては改良型キ27と速度も殆ど変わらず、航続力の大きさが南方侵攻に必須であるが故に採用となったような「取りあえず」のありあわせでした。BUNさんが上で述べられた「隼がもっと速かったら・・・」はそういう事です。
そしてキ44は(キ27と比較しても)重火力・高速・大航続力の戦闘機として開発されたのです。
また、上で片さんが述べられてるように、重軽の区分の基本は火力にあったのです。いくら高速だろうが運動性が如何であろうが、機関銃装備戦闘機と機関砲装備戦闘機で陸軍は区分する考えを基本的にもっていたのです。
これは各戦闘機が当初どのような武装を持っていたかを見れば凡そのところが判るでしょう。
キ27:7.7x2
↓
キ43:7.7x2
キ44:12.7x4
↓
キ60:12.7x2+20x2
キ61:12.7x2+7.7x2
↓
キ84:12.7x2+20x2
キ60と61の要求スペックの違い(速度と武装)がつまり重・軽の差な訳です。また当然ですが速度を増そうとしたら強力な発動機と(小さな翼、武装、燃料から)大きな翼面荷重が必要になるだけの事です。翼面荷重の違いは結果であり、要求される飛行性能(航続力・速度・空戦性能)が果たす為の手段のひとつに過ぎなかったのです。キ60と61では発動機が同じなのですから、キ61より60が、より翼面荷重が大きくなるのは、ごくあたりまえの結果でしかなかたのです。また要求速度の違いはキ61においては速度が低いのですから、余力を運動性に回して双方の両立を果たそうとするのは当然でしょう。
SUDO
- 「航空兵器研究方針」だけでしたら学研『陸海軍試作戦闘機』で紹介されているので手軽に目にすることが出来ると思います。
この「航空兵器研究方針」を審議した「軍需審議会」(会長:陸軍次官)の議事録も読んでみましたが、ここである程度要求の背景が説明されているようでした。
昭和12年頃、機関砲装備の単座戦闘機を作らなくてはならないだろう理由として最初にあげられていたのは、(要約すると)「将来的に各国機とも最大速度が増し、空戦における射撃距離も増すことに対応するため」ということのようでした。
機関砲が「対敵大型機用」と説明されるのは次回13年の会議でのことで、昭和15年の「航空兵器研究方針」に至っても「遠隔空中戦闘」のことの方が先に書かれ、ついで「大型機」という順に述べられています。
敵大型機邀撃用としても大事な要素ではありますが、それ以前にまず敵戦闘機が高速化してゆくだろうからこちらも「高速かつ重武装」のものを作ってゆかなくてはならない、ということなのでしょう。
たしかに局地防空戦闘機に限定したものなのなら軽戦闘機に勝る航続力は必要ないはずでしょうし。
片
- それと重要なのは、こうしたカテゴリー分類の話は「昭和12年〜15年頃」にされていたものだ、ということです。キ43、44、60、61くらいがこれに相当するとして、いっちょかみさんがおっしゃる「以降」についてはこれとはまた別の方針で臨まれているのです。
それから、陸軍機の場合、対米英だけでなく対ソ連もより大事です。
片
- >29
舌足らず。『陸海軍試作戦闘機』で読めるのは「航空兵器研究方針の戦闘機の項」ですね。
片
- >一式戦と二式戦、二式複戦それとキ60とキ61にBUN氏がおっしゃっている区分ができるかもしれません。
これはできるかもしれない、ではなく、方針に沿った要求仕様が存在しなければこれらの機体が存在し得ないと言う事です。キ84までは重単座戦闘機、軽単座戦闘機の区分のある兵器研究方針を基礎にその要求仕様が作成された機体ですが、キ87以降は新しい方針の下に「近距離戦」「遠距離戦」の区分で要求仕様が作成された機体です。何の基準も方針も無いまま漠然と「良い戦闘機」を作らせると言うようなことは軍事行政としてはあり得ない方向性でしょう。
用兵側、この場合、該当する機関としては参謀本部に兵器の目的、用途に関する概念があり、それに沿って航空本部が個別の機体についての要求仕様を作成して発注し、出来上がった機体について審査部で採否の参考となる審査が行われる、という動きの中で戦闘機は造られて行く訳ですから、機体設計者が関与するのはその仕様を現実の機体に反映させる作業となります。
例えば海軍の名機として知られる零戦についても搭載エンジンと機体寸法、その他要目が決定されている以上、たとえ堀越技師が存在しなくとも、そこには出来の良し悪しはあるにせよ、やはり「零戦のようなもの」以外の戦闘機は出来上がって来ないでしょう。
兵器開発とはそういうものです。
BUN