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こんにちは、自分なりの空想の世界のことですが、お付き合いお願いします もし、震電が、あと1年早くできていたら少しは変わっていたでしょうか? 少なくとも、B29を迎え撃つことはでき、原爆投下も防げたように思いますが 教えてください 比鶴 |
- 無理です。
B29は震電が無くても迎え撃つ事が出来ましたし、原爆投下阻止が出来なかったのは技術的な問題とはいえません。
よって、新春にするなら、ここの過去ログを全部読むほうが良いかと思います(もしくは、友人でも誘って飲みに行くとか)
SUDO
- 基本的にはSUDOさんのおっしゃるとおり、震電の有無の問題ではない、と思うのですが、さらに追加して。
史実の紫電改は「18年12月1号機工場完成、19年7月飛行試験開始」でありながら、終戦までにほぼ一個航空隊を充たす程度にしか実戦配備されずに終わってしまっています。仮に震電1号機が1年早く出来ていたとして、「19年6月工場完成、7月飛行試験開始」ということになり、その紫電改よりもまだ半年も遅いのです。紫電改の状況からの類推で、その程度ではほとんど使い物にならなかっただろうことがおわかりいただけますでしょうか。
片
- ↑ミスタイプ。紫電改の飛行は1月から。
片
- 震電がもしあったとして、実際どの程度の性能を発揮しえたかというのも検証する必要があるのではないでしょうか?
たしかに、いかにも高性能を思わせる外観ではありますが、類例のない機体形状、エンジンの冷却、着陸装置、主翼上に配置された垂直安定板など不安要素も多数あり、以外な凡作に終わった可能性もあると思います。
山脇
- 1944年6月の開発着手時にフルスペック増加試作または量産先行型で完成してたとして、結局は「操縦特性がどうした」だとか「格闘性能が零戦よりも劣る」だとか邀撃戦闘機に必須でない要求が噴出して、改良に継ぐ改良を施している間に時間切れの可能性も否めないような気がします。
まして、空技廠が一枚噛んでるから、使用部品にまで軍部に口出しされて、生産現場は大混乱なんてことになったかも・・・
中華観音
- >↑なんか烈風みたいですね・・・
>まあ確かに一年ぐらい早く完成していても変わってはいなかったでしょうが・・・
>兵器というものは特に完成から実戦配備までに時間がかかります。亜米利加の長防空ミサイルシテステム"パトリオット"なんか制式採用になるまで十年以上かかってますしね。
>まあ、震電のばあい機体が特殊ですし最低でも開戦時には完成してないと戦況に影響を与えるのは難しいのでは?
麗樹
- たとえ震電を持っていたとしても、一見無害な高々度の単機侵入に迎撃命令が出るかどうか。米軍も「今から原爆を落としにゆきますよ」と知らせてくれるほど親切じゃありません。
ささき
- ↑陸軍特情部は通信諜報で、マリアナに展開する「特殊任務部隊」の存在とその動向を把握してたそうですから、もしも高性能の迎撃機を2〜3機ずつでも全国各地に配置できていれば、もしかしたら原爆搭載機は落とせたかも、と思ってしまいます。(後知恵の夢物語ですが)
http://www.page.sannet.ne.jp/mori-y/b-29.html
NX
- 広島の投下時は
小月の屠龍だったかが
迎撃に上がってますよね?
Kleist
- ↑ 確か樫出勇氏の乗機でした。
暫く前にここで震電の発動機について質問されて頂いた者です。
震電が一年早く出来たとしたらとの設問、昔、類題を少し考えてみたことがあります。
・海軍のどんな施策変更のためか
・設計時期が前倒しになる結果、どんな機体になったか
・どの機体の開発/生産に皺寄せが行ったか
を最低限クリアしないと結果を想像することすら出来なくなり、早々に投げ出しました。
実機通りの機体の場合でも、電装以外の整備性はあまりよくないのではないかと考えております。特に発動機換装などは。
「震電鳴動して鼠一匹」等と揶揄されたかも知れません。
a0ri