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非常に情けない質問で御座います。 素朴な質問でアホらしいと思われるでしょうが 自分的には拘ってます。 さて、質問ですが、真珠湾攻撃の時に淵田中佐<当時35歳だと?>がそのリ−ダ−で出撃して行かれたと思うんですが、2歳若い源田実殿は素晴らしい戦闘腕前を持っているにも関わらず、確か攻撃には行かれてない?と思いましたんですが指揮をとる為に艦上にいただけなんですか?それとも何か理由が?その辺が知りたいです。お願い致します。 捕虜選択男 |
- えっとですね、まず淵田さんが搭乗員として出るのは、かなり例外的で、普通はあの年齢と階級では搭乗しないのが海軍航空隊では普通でした。
でもって、源田さんは、南雲提督の指揮を助ける参謀としていた訳で、搭乗員として乗り込んでいたわけでは有りません。
勿論、彼は操縦士としても一流だったのでしょうが、淵田さんの事例でも判るようにある程度以上の年齢や階級の人は飛行機から降ろされる傾向があります。彼らのような海兵を出た航空畑の士官は、士官が出来て飛行機も知ってるわけですから、あらゆる方面で必要な人材だったのです。
SUDO
- 淵田中佐は、真珠湾奇襲のまえに地上勤務に就く予定でしたが、土壇場でこの作戦の攻撃隊長に抜擢されました。(双葉社刊「超精密3DCGシリ-ズC日本軍傑作機」参照)淵田中佐は不服のようでしたが、源田中佐に『お前しかいない』と言われて引き受けたようです。当時、水平爆撃と雷撃でこの人の右に出る者はいないと言われてました。
秋月
- 駄レスです。どこかで読んだのですが、源田には戦闘経験がないとか。ホント? 中国戦線に出ずに「源田サーカス」やってたんでしょうか??
実包
- 「源田実は実戦経験がなく、撃墜記録も持たない戦闘機パイロットである」という貶し文句は坂井三郎氏の著書に出てくる言葉だと思いますが、それが問題なのでしょうか。ドイツのヘルマン・ゲーリング空軍元帥は第一次大戦に参加し赫赫たる撃墜記録を持ちますが、彼は優秀な空軍司令官だったと言えるのでしょうか。
ささき
- 源田に実戦経験が無いのが問題なのではなく、上記の質問のようにその腕前が「伝説」になってしまう事が問題なのでは?
実包