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今日、友人宅でJAS2002年カレンダーを見ていたら7月のローランドCII(1915年と表記)の絵の機首下面にシャークマウス(歯のギザギザもありシャークマウス以外のものには見えない)が書き込んでありました。第一次大戦中のドイツ機にシャークマウスがあったのかなといったら、友人が古いエアフィックスのカタログを持ち出してきました。1/72ローランドCIIの箱絵の機体の機首下部には、シャークマウスではありませんが、黒のペイントで口のようなものが書いてありました(こちらはローランドCIIのニックネーム通り「くじら」のくち風に見えました)。 この時代、すでにシャークマウスペインティングがあったのでしょうか。 そもそも、シャークマウス・ペインティングはいつ頃どこの国で始まったのでしょうか? 一応検索はかけましたが、既出でしたらお許し下さい。 カンタニヤック |
- 第二次大戦より前は知りませんが、一般的には第二次大戦時、北アフリカでの英空軍No.112”Shark”Sq.の所属機が元祖シャークマウス塗装ということになっているんじゃなかったでしょうか。中国におけるAVGのそれよりも数ヶ月?早いような。これらは部隊所属機にどひゃーっと描いてるわけですが。(確かにエアのローランド、そのマーキングでしたね。うちにある箱では黒い口で1916の表記があります。個人マークみたいなのが112Sq.以前にあったのかしらん。)
MB
- JASのカレンダー、確認しました。WINDSOCK DATAFILE 49 ”LFG Roland C.II”の15ページおよび34ページに掲載されてる写真の機体をイラスト化したものとおもわれます。残念ながら所属部隊やパイロットは確認されていないようですが、列線中で口が描いてあるのがこの機体だけなので、部隊マークではなさそうです。
他にWW1機で機首を顔にした例といえば、イタリアのマッキM.5戦闘飛行艇に施された「空飛ぶ竜(ドメニコ=アルシディアコノ乗機)」が思い浮かびます。機首機関銃の銃口が竜の目の位置にくるというなかなかお茶目な塗装です。
Schump
- ヴェルナー・フォスの「人面三葉機」も、顔といえば顔ですかねえ(笑
まなかじ
- > MBさん、
No.112スコードロ関係のサイトンチェックしました。正調シャークマウスの事がよくわかりました。ありがとうございます。また、エアフィックス機の年代教えていただきありがとうございます。
> Schumpさん、さすが、出典までおわかりとは。こちらも少し検索してこのサイトを見つけました。
http://www.mindspring.com/~jsthorn/cgw/RolandCII/rolandcii.html
Schumpさんがおっしゃっていたのはこの写真の機体でしょうか。
> まなかじさん、ありがとうございます。しかし「人面三葉機」さっぱりわかりません(T_T)。出来ましたらフォローを。
> その他に
ARCO-Aircam Aviation Series の No. 21 『Sharkmouth 1916-1945』
という本を買えばかなりのことが分かりそうですが、1916−が気になります。 ローランド(1915)は入っていないのでしょうか? お持ちの方がいれば、ご教授いただければありがたいのですが。
カンタニャック
- 追伸。(^^;
エアのローランド、搭乗者はEduard von Schleich、蛇足ながら35機撃墜のPour le Merite受賞者だそうです。
まなかじさんの書かれてるのは、1917年、Werner Vossの乗ってたフォッカー3葉機でしょう。カウリング前面に開口部を目鼻にみたてて眉やひげのある顔が。(少数ながら他のフォッカー3葉機にも類似のペイントがみられるような。)これには「くち」が描いてないですが。やっぱりシャークマウスには「顎」でしょうか。その点ではP-40は申し分なしですし、ベトナム戦のF4Eも同じく似合いますですね。(^^)
MB
- MBさん、重ね重ねありがとうございます。
シャークマウスやその他の顔のペイントの歴史は、飛行機の歴史の初期(ペイント可能な胴体をもった飛行機の歴史に限定すればもっと初期か)まで遡れるんですね。船舶における「目」のペイントの歴史に匹敵するのかもしれません。
そういえば潜水艦シャークマウスは、小澤さとる先生の創作なんだろうか…(あ、これはコーナーが違うな)。
カンタニャック
- >> シャークマウスの起源
>シャークマウス・ペインティングはいつ頃どこの国で始まったのでしょうか?
4>『Sharkmouth 1916-1945』・・・1916−が気になります。
私もこの本を持っていませんが、回答が無いようですので、差出がましいようですがカキコします。この本の広告には、(シャークマウスの)起源は第1次大戦のドイツ空軍(ママ)と書いてあります。この本は1970年の出版なので、その後の新資料の出現を考えるとさらに検討が必要と思われます。
この本が、もしローランド CIIをその起源としているならば、Peter Gray et al. “German Aircraft of the First World War” London; Putnam, Second Edition1970, p.159によるとローランド CII試作機は1915年10月に出現、部隊配備は1916年初頭からとなっています。試作機にシャークマウスが描かれない限りは、ローランドCIIのシャークマウスの出現は早くとも1916年になると思います。Grayの本も古い本です。新しいDATAFILE49には何と書いてあるのでしょうか。
>> 第2次世界大戦におけるシャークマウス
1>北アフリカでの英空軍No.112”Shark”Sq.の所属機が元祖シャークマウス塗装ということになっているんじゃなかったでしょうか。
Rick Kentの http://www.hotel.wineasy.se/ipms/stuff_eng_profile_112sqn1.htm
によると、「No.112 Sq.ではトマホーク Mk.IIBが1941年7月から運用開始され、シャークマウスが適用された。シャークマウスはMe 110のZG 26(ママ)からコピーしたと言われる。」と書いてあります。
コピー云々はともかくII/ZG 76のシャークマウスは、Barry Ketley et al. “Luftwaffe Emblems 1939-1945” Hants; Hikoki Pub. 1998, p.38によると、1940年春から描かれ、それは第2次世界大戦中に他の多くの者に示唆を与えた、と書かれてあります。その他多くの本でも1940年フランス戦役の写真としてII/ZG 76のBf 110にシャークマウスが描かれています。
Bf 109 Dにもシャークマウスが描かれています。日本の出版物では『世界の傑作機』(1974年9月号増刊、新版No.11)24頁、『航空ジャーナル』1978年別冊「ドイツ空軍戦闘機隊」6頁に同じ写真が掲載されています。後者ではBf 109 CまたはDでJG 71の所属としています。
これが部隊マークか否かですが、Eric Mombeek“Jagdwaffe”Vol.1, Sec.3, East Sussex; Classic Pub., 1999, p.214では、同じ写真を1939年8月2/JGr 176所属機(II/ZG 76が一時的にJGr 176に名称変更)としてシャークマウスを部隊マークとしています。一方Jochen Prien et al. “Die Jagdfliegerverbaende der Deutschen Luftwaffe 1939 bis 1945 Teil 1” no place; Struve, c.2000, S.383では、シャークマウスの描かれた機体を1939年春1/ZG 144(この時期II/ZG 76は頻繁に部隊名称を変更していた。)所属のRhinow大尉の機体としています。またこのシャークマウスは直ちに全飛行隊(II/ZG 76)の標識となった,と書かれています。
しかしJochen Prien et al. “Die Jagdfliegerverbaende der Deutschen Luftwaffe 1939 bis 1945 Teil 2” Eutin; Struve, no date, S.547では1940年初頭1/JGr 176のBf 109 D-1とされる写真が掲載されていますが、シャークマウスは描かれていません。よってシャークマウスがII/ZG 76全体に広まるまでしばらく時間がかかったものと考えます。
Ju 87 B-1でもシャークマウスの描かれた機体があります。質の悪いカラー写真ですが、『航空ファン 第二次大戦ドイツ軍用機写真集』(1976年9月増刊号)10頁、『戦車マガジン別冊 第二次大戦のドイツ軍用機の全貌 1981年版』9頁に同じ写真が掲載されています。前者はSt.G 77所属、後者はII/St.G 77所属としています。機首部分中心で冷却器のカウルフラップなし、排気管は推力式となっていない型です。写真中後方のJu 87にはシャークマウスは描かれていません。
同じ機体の塗装図として、『世界の傑作機』(1972年12月、No.32)31頁、『世界の傑作機』(1983年3月、No.136)32頁が掲載されています。前者は、1939年8月Breslau-Schongarten, II/St.G 77、後者は1940年夏、2/St.G 77、Major A. Orthofer搭乗機として、両者ともコードレターをS2+ACとしています。
私はカラー写真中後方の機体のコードレターが?K+??と読め、Barry Rosch “Luftwaffe Codes, Markings & Units 1939-1945” Atglen; Schiffer Pub., 1995には?Kに該当する急降下爆撃航空団が無いので、判定には慎重を要すると思います。まあナイーブに考えれば、1939年から1940年にかけてJu 87にシャークマウスを描いた例があったかもしれないということでしょうか。
以上少ない資料と下手な外国語で愚考しました。特に英国機は全然知らないので、Rick Kentの妥当性については全くわかりません。ご批判、ご教示お願いします。
中年受験生
- おお、中年受験生さん、おそれいります。
そーだ、顎の109Dや110の鮫口、確かにありましたよね。(^^;;
幾つか蛇足を追記しますと、
#ローランドはやはり1916年初期らしい。やはり鮫ならぬ鯨口らしいですが、これをもってマウスマーキングの始祖のひとつであるとの記述あり。(黒と赤による塗りみたいです)
#Kentさんの112記事、天下のIPMS(ストックホルム支部)サイトですから、そう捨てたものではありますまい。(^^)
#その112Sq以後ですが、同部隊の鮫口マーキングが雑誌に紹介され、それをみたAVGが採用、でもって各戦線の米陸軍航空隊にどひゃっと拡大、という次第らしいです。流行の切っ掛けですね、112は(汗)。
#Ju87の例は、Ospreyのcombat aircraftシリーズ22(1997)では「大戦前」との説あり、です。
#Schumpさんの書かれたマッキM5戦闘飛行艇の例は、パーソナルマーキングらしく、1918年とのこと。
どーも発祥は独逸の香りというところでしょうか。いやー、勉強になりますです。
MB
- 中年受験生さん、MBさん。
ご回答ありがとうございました。
カンタニャック