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「片翼生還」で有名な96艦戦 樫村機(4−115)ですが、日本に持ち帰り展示された後、機体はどうなったのか教えて下さい。 YOU |
- 世界画報(昭和13年6月号)に「海軍館に組立成った片翼の樫村機」との記事と写真が載っています。別の号でもっと詳しく書いてあったと思うけど見つかりません。
海軍館とは何処なのか?分かる方 よろしくです。
vought
- 中国空軍のカーチスホーク2機撃墜後、3機目を体当たりで撃墜して基地まで
帰還した飛行機でしたっけ。原宿の東郷神社に隣接する元池田侯爵邸跡地に建てられた海軍館に展示されたと記憶しております。機体のすぐ下まで近付くことができたような写真を見た記憶があります。
海軍館で調べたのですが敗戦後のことがわかりません。海軍館の歴史から
探すしかないでしょうか。米軍によって破壊されていなければいいのですが。世界1周したニッポン号を彼等は爆破したようですし。日本航空技術
の記念碑的機体は米軍には邪魔だったのでは。(答えになってなくてすみません)
ZERO
- 世界画報(昭和13年10月号)に弾丸で穴だらけになった95水偵(岩城機)が樫村機と並んで展示してある写真があり、一般公開は8月いっぱいで10月1日から海軍兵学校に移されると書いてあります。ですから海軍兵学校に行ったと思われます。
vought
- 大戦末期に本土空襲で焼失したんではなかったですか?
Navy
- >vought様、ZERO様、Navy様
回答ありがとうございました。
YOU
- この夏、旧海軍兵学校へ見学に行ってきたのですが、案内してくださった広報の自衛官の方によれば、
「片翼帰還で有名な樫村機もここに野外展示されていましたが、終戦直後、占領軍が来るぞというんで機密文書等を焼く時、残念ながら他の幾つかの展示品とともにバラバラにして燃やしてしまったそうです」
と仰っていました。
さと
- >さと様
なるほど、そうだったのですか。ありがとうございます。
YOU