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戦闘機の後方視界に付いて 戦闘機は特に後方視界が重要なのは言うまでもない事であり、 日本機は操縦者のこの強い意見を取り入れ、全方位の風防とした、 となっていますが、そこで下記の疑問が出てきます。 これに関する情報がありましたらぜひ教えて頂きたくお願いします。 1.欧米機は空気抵抗重視で後方視界が考慮されていない機が多いのですが、 同じ人間が操縦するのに、この設計思想の違いは何処から来ているのでしょうか? 2.日本機の全方位の風防は、空気抵抗が多少増えたとしても、 空力的研究が進み、渦が発生しない優れた物だったのでしょうか? 3.敵機を追尾しながら、又追尾されて回避行動を取っている最中に、 一一振り返って後方を確認するのは至難の業と思われます。 素人的にはバックミラーを使えばとても便利では、と思うのですが、 何故戦闘機にバックミラーを装備し無かったのでしょうか? …スピットファイアは風防の上に小さい丸形ミラーを付けており唯一の例外?? いその |
- 零戦の操縦席だって後方は殆ど見えません。
後方の確認の為には機体を振るのが一番だったでしょう。
また、陸海軍の戦闘機で操縦者が水滴型風防を強く望んだ為に水滴型となった、という記録は見たことがありません。多分、無いのではありませんか。
零戦の風防形状は天蓋の無い開放型と天蓋付きの密閉型、天蓋の後部まで透明にした水滴型と三種が風洞実験を受けて、最終的に水滴型に決定しています。
BUN
- F6Fもバックミラーつけていたんじゃなかったでしたっけ?
isao
- バックミラーを装備した戦闘機は沢山ありますね。
BUN
- 欧米の戦闘機の多くが水滴風防でなくいわゆるハンプバックにした最大の理由は空気抵抗云々ではなく、転覆時のパイロット保護のためです。機首に重いエンジンを積んだ単発の尾輪式(三点式)では機体の転覆事故が多く、パイロットの頭部を護るために胴体背部に強度を持たせる必要があったのです。
P-47やP-51が水滴風防に転換する際には背面と頭部を保護する防弾板の強化でそれを兼用しています。
にゃん
- >転倒時の頭部保護
米軍初の低翼単葉戦闘機 P-26 の背部には物凄く背の高いロールバーがついていますが、これは初期量産型には無かったものです。実戦部隊で転倒から死者が出る事故が起きて追加されたものです。
http://www.wpafb.af.mil/museum/research/p26.htm
しかし、このロールバーは大きな空気抵抗を生んだものと想像されます。で、P-26 の発展型 P-29 ではロールバー後部から尾部につながる整流鰭を付け、このようなファストバックとなりました。
http://www.wpafb.af.mil/museum/research/p29.htm
これがファストバック型戦闘機のひとつの流れでしょうね。
ただし、Bf109 やスピットファイヤのように最初から座席位置を低く設定した機体はまた別系統の流れではないかと思います。シュナイダーレーサー等には空気抵抗削減のため前方視界を殆ど犠牲にしてコクピットを埋め込んだファストバック型が見られますが、こういったレーサー機の影響があるようにも感じます。
http://pgts.free.fr/
ささき
- 3.バックミラーは大抵の機体に付いてますよ。写真をよく見ればすぐ気づくはずですが。ハリケーンもスピット同様の機外ミラーをつけてますし、P51のB&Cも同様です。水滴風防のP51Dは風防の一部を風除けとして整形した上でミラーをつけてます。コルセアなどは風防の内側、コクピット内にミラーをぶら下げてますね。ここら辺はのちのジェット戦闘機も同様です。
アナーキャ
- 自動車で車線変更するときでも、バックミラー「だけ」で後方確認するのは危険ですよね?飛行機は更に速く(ゴマ粒ほどの機影が十数秒後には射撃距離に入って来る)、左右ではなく上下にも死角があります。バックミラーは無いより有ったほうが良いでしょうが、バックミラーだけに頼って後方視界を確保することはないと思います。
ささき
- 初めて書き込ませていただきます。「とも」と申します。
結局のところ、日本軍戦闘機の殆どが水滴型風防を使用した理由は何なのでしょうか。ファストバックから水滴型へ変更された、飛燕という実例がある以上、明確な理由があったと思うのですが。
とも
- 飛燕の例は視界改善でしょうが、あれは別格と言って良い位のものではないでしょうか。
開発時の図面検討を辿って行くと最初に構想された理想的な胴体ラインに対して、エンジン、カウリング、胴体機銃、操縦席(特に艦戦の場合位置を高く取る)といった突起物が後から加えられ、それらをどう処理するかが設計者のセンスと腕前の問題となっていたようです。(例九六艦戦〜零戦、烈風 最初に構想された基本的な胴体ラインはほぼ同一の形状)
その結果の水滴風防であって、九六艦戦の背びれもまた水滴風防と同じく、ひとつの解決案として「後から」付け加えられたものなのです。
BUN
- 日本機の多くは空冷エンジンに合わせて胴体直径を絞っていますが、水滴型風防にはこの「エンジンに合わせて絞り込んだ胴体」のラインを崩さずに操縦席を付けようとした意図を感じます(特に「紫電」や「烈風」の、機体サイズに比して小さすぎに思える風防にそれを感じます)。飛燕は液冷で縦長断面の胴体、震電は後方エンジンで前方胴体は縦長断面、雷電は紡錘理論でエンジン直径より太い胴体…という風に、「水滴型にしなくても良い理由」があったように思います。
ささき
- つまり、ごく大雑把な言い方をしてしまうと、空冷単発戦闘機は水滴型風防が最もまとまりが良い、と当時の日本の設計者達は考えていた、ということでしょうか。
とも
- 一連の話の流れからは、風防の形状は視界とは無関係に決定されるという結論が導かれてしまいそうですが、風防という飛行機にとって必要悪のような突起物をどう処理するかというのは、空力性能とパイロットの視界という相反する要素の落とし所をどの辺りに持ってくるかという事であり、視界の問題とは不可分なのではないでしょうか?
艦戦の場合操縦席の位置を高く取るというのもまさに着艦時の視界の問題があるからであり、ではどの程度高く出来るかとなると、そこで空力性能との兼ね合いが問題になる訳です。後に視界が問題とされた雷電の風防などは、視界を必要最低限に押さえて空力性能を優先させた結果とも言えるでしょう。
零戦の胴体ラインと風防・視界の関係について、「零戦(堀越・奥宮)」には
「胴体の形状は平凡で、二〇ミリ機銃の命中率を高めるための考慮から幾分長めにし、視界を良くするためだけの高い突出型風防(Bubble canopy)を設けた。」
との記述がありますが、風洞実験の段階でファストバックが用意されながらも、最終的に水滴型が採用されるに至ったのは純粋に空力的な理由だけなのか、或いは視界が関係しているのかは、未だ考察の余地があるように思います。
雷電と違い競争試作だった零戦の場合、パイロットの意見が採用の成否に影響しますから、九六艦戦二号二型で、密閉式のファストバックがパイロットの不評により取り止めとなった過去の経緯が考慮された可能性も考えられます。
また零戦に限らず、仮に「水滴型が採用された経緯」をひとまず置くとして、結果的に視界の面での利点があったのかどうかという点については、水滴型以外を採用した飛燕や雷電といった機体が、最終的には視界の問題から風防を変更しているという点も、ひとつの判断材料となるように思います。
MITTU
- >1.
>零戦の操縦席だって後方は殆ど見えません。
素朴な疑問なのですが、後方はそれほど見えないものなのでしょうか?
以前、同じ水滴型風防のP51Dの操縦席に座らせてもらった事があるのですが、キャノピーを閉めて後ろを振り返ると、尾翼の裏側と後下方以外ならすべてが見渡せるという程の見晴らしで、後方視界は感動するほどに素晴らしいものでした。
零戦の操縦席には座った事がありませんが、当時のパイロットの手記にも、空戦中に敵機に囲まれた際に、後ろを振り返りっぱなしで間合いをはかりながら射弾回避を続けたという記述もありますし、図面や写真で見る限りでも、普通に首を回せばヘッドレストの横から無理なく後ろが見えそうに思えるのですが・・・
(人間が後ろを振り返った時の目の位置は、人体の中心線上からある程度左右に寄った位置になりますし、零戦のヘッドレストの曲線も、後方視界に配慮したもののようにも見えます。)
MITTU