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些細な事で恐縮なのですが、旧陸軍機にて軽爆撃機は、発動機の数によって単軽爆撃機と双軽爆撃機に分類されていますが、キ-44とキ-45が単座戦闘機、複座戦闘機と、乗員数によって分類されているのは何故なのでしょうか? 元々多座機の軽爆撃機と、戦闘機では事情が異なるのかもしれませんが、あるいはキ-45については双発戦闘機と言う事よりも、複座戦闘機と言う事の方に重点が置かれていたという事なのでしょうか? 御教授よろしくお願いいたします。 八郎太 |
- 九九双軽の仕様を決定した昭和十二年の「陸軍航空本部兵器研究方針」(戦史叢書では十三年方針による開発とされれていますが九九双軽の制式制定に関する書類上に十二年方針に基づくと明記されています)の軽爆の項目は前方針から性能要求面での改訂はなされず、ただ単発機との指定のみが削除されています。十二年以降、軽爆は単発と双発という要求性能の異なる二機種のコンセプトが存在したのです。十三年の改正ではこの単発と双発の分化を、具体的な数値を挙げてより明確にしています。ですから九九双軽の場合は軽爆の双発案による機体であることを謳う必要があったのです。
兵器研究方針上に単軽、双軽の二つの機種の概念があったので、区別する為に双軽なのです。
これに対して複座戦闘機は双発、単発の指定が無く、要求性能も双発、単発での差異はありません。後席の武装を重視した複座戦闘機として当初の複座戦闘機案は単発複座でしたが、その後の研究により双発複座が選択されたという経緯があるだけで、兵器研究方針の項目中に単発複座、双発複座の両案が並存した訳ではなく、その為に複座戦闘機はあえて双発、単発と断る必要がありません。
兵器研究方針上で複座戦闘機の概念は一種しか無い為に発動機数を呼称に含めていないのです。
BUN
- ご回答ありがとうございます。
キ-45(及び45改)は一般的には双発戦闘機と言う事が注目されますが、基本的には30年代前半の単発複座戦闘機の流れを汲む機体で、双発であるのは性能上の必要によりそうなったに過ぎないと言う事なのですね。
そうしますと、双発単座機であるキ-96の開発は、複座戦闘機とは軌を逸にする別の双発戦闘機の概念が、兵器研究方針上生まれたことを意味するのでしょうか?
便乗質問になってしまいますが、改めてよろしくお願いします。
八郎太
- 昭和十五年の兵器研究方針からは複座戦闘機の項目が消えてしまいます。
(兵器研究方針の改訂はこの頃であれば、前方針に基づく機体の研究(試作、審査ではなく)が終わった時点とされています。)
キ38からキ45改に至る複座戦闘機の開発が難航している事もありますが、この頃から十八年の兵器研究方針に登場する「遠距離戦闘機」の概念がおぼろげながら芽生えているようで、キ96はそんな中でキ45性能向上型として試作されています。同じくキ83の研究も始まりますが、十八年方針の定まる前までは開発方針が定まらず(単発案さえ出ています)、十八年方針が固まるのを待って仕様が確定しています。
キ96は十二年方針によって開発された複座戦闘機の改良作業=キ45性能向上機のことなのです。そして複座戦闘機の概念の消滅と遠距離戦闘機の概念の誕生の端境期にある機体とも言えるのでしょう。
BUN