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いつもお世話になっております、今回は特殊攻撃機の名称に付いてご質問いたします。 1.晴嵐の型番号はM6Aですが、M1からM5はどの機体に付番された(される予定だった)のでしょうか? 2.晴嵐は特殊攻撃機ですが、同じく特殊攻撃機である橘花や梅花のように「○花」でないのは何故なのでしょうか? 「特殊攻撃機」という言葉と、軍用機の分類とは直接の繋がりはないという事なのでしょうか? 初歩的な質問ではありますが、ご教授よろしくお願いいたします。 八郎太 |
- 初歩的どころか難問です。
晴嵐の名称は「私が考えたのは、潜水艦の隠密性に水上機操縦者の狭視界行動能力(計器飛行能力)を加味し、忍者のように霞の中から突如出現するという意味で、粟津の晴嵐から晴嵐という名を考え、採用になった」との第一潜水隊飛行長 渡邊正少佐の回想があります。特殊機=特攻機ではありませんし、また実機完成は特攻機よりも1年程度早いので○花という名称は付与されなくて当然なのでしょう。
しかし、「M6は何故6なのか」については全くわかりません。
十七試攻撃機が何でM6なのか?
私はこの機体は当初D6だったのかもしれないなぁ・・・といった妄想を抱く時があります。
BUN
- 命名基準としては、「◯花」は「紅葉」などと同じく本来練習機用の名前です。晴嵐ではありませんが「青嵐」も練習機の名前の例としてあげられています。
本来攻撃機として「南山」だったのであり、練習機としてのM6A1-Kが「晴嵐」だったのが、どこかで逆転した、という話もあります。
片
- >>2
ソースが提示できなく申し訳ないのですが、本来は「南山」と命名されることになっていたのですが、「難産」と音が同じなので現場に敬遠され、急遽「晴嵐」の名前を使うことになったという説があるようです。
松平
- 松平さん、南山は、晴嵐のフロートを取り、垂直尾翼を切り詰めた機体では?
タミヤからもプラモデルが出ていたとおもいます。
この機体は、松平さんのおっしゃる理由で名前が変えられたのですが、変わった後の名前は「晴嵐改」だったとおもいます。
富士
- 富士さま
フロート付の水上機型、つまり本命機の方も初期には「南山」だったようなのです。
フロート付水上機型 南山→晴嵐
引込脚 陸上機型 晴嵐→南山→晴嵐改
片
- 便乗質問…と言うより新たな疑問なのですが、
本来陸上機だったとするならば開発目的はどういったものだったのでしょう?
この時期攻撃機ならば流星改がありますがこれの置き換え用としての開発なのか、
それとも彗星に本格的に800kg爆弾を搭載する改良型としての開発なのでしょうか?
性能標準を見ると800kg爆弾搭載型としての方がしっくりくるのですけれど。
ルージュ
- 水上攻撃機の形式名が「D6」だったと言う事だったら上記の質問は忘れてください(汗)
ルージュ
- 名称付与様式が制定されたのが18年7月末、「制式および改造中のものをのぞき新名称付与様式を適用する」と定められた期限が8月10日。晴嵐の実機完成が11月。同時に生産する陸上機型の計画が晴嵐改として記されている以上、従来から言われている南山からの改称説はほとんど時間的な余裕が無いように思えるところが気にかかっているんです。また晴嵐と晴嵐改については20年4月の「飛行機略符号一覧表」より早く19年11月の内令兵で名称とその内容が確認できます。
BUN
- ああ、なるほど。
要再検討ですね。
片
- ルージュ様
本来、陸上攻撃機だったということはありません。最初から単一目的に特殊化した機体開発です。
が、「十七試攻撃機」という、潜水艦搭載用途が比較的明らかにされない名称を付与されていたりもしています。
片
- 皆様お答え頂きありがとうございます。
私が想像していたよりも、不明の部分が多いのですね。
市販の書物には特殊攻撃機あるいは十七試特殊攻撃機と書かれている事の多い晴嵐ですが、実際の分類上は「攻撃機」なのですか。
そうすると「M」の型番号自体が何を意味するのか難しいですね、「6」の数字も正体隠匿の目的で偽装したのでは、と疑ってみたくなります。
八郎太
- >10
回答有難うございます。
海軍航空教範の試作機の項目を見ると「「晴嵐」陸上機改造」と記されているので
余計に混乱してしまいました。
ルージュ
- >その辺が、「陸上機改造」型の方が晴嵐(練習機名)だったかも、といわれている根拠の痕跡の尻尾の辺りなんでしょうね。
片