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最初の特攻作戦に日本海軍のトップエース、西沢広義 上飛曹(階級ははっきり覚えていません。)が随伴して帰路輸送機上で戦死していますが、このときの主任務はなんだったのでしょうか。護衛、先導、戦果確認、監視、索敵、前線への補充機輸送のついで、こんなところが考えられますが。このような随伴機は終戦まで必ずついていたのでしょうか。遭難時、同僚のパイロットも同乗していなかったのでしょうか。 ビギナー |
- はっきり自信がなくてすみませんが・・・
特攻初期(ごく最初の頃)は護衛と戦果確認が主任務だったと思います。もちろん、先導の役割もあったでしょうが、カミカゼのパイロットも初期はそれなりの技量を持っていたらしいので。
その後は、護衛と戦果確認はもちろんですが、パイロットが未熟で航法さえままならなかったらしいので、先導が重要な意味を持っていたと思います。ですから、特攻機だけでは敵艦まで飛べず、終戦までエスコートがあったことは確かのようです。ただし、例外があったかどうかまではわかりませんが。
isao
- 便乗質問で申し訳ありません。
本当に西沢上飛曹は輸送機での移動中に撃墜されたのでしょうか?
そうした記述をいくつかの書物で見かけましたが、証拠となる出典が不明です。
米軍の来襲しているフィリピンで、戦闘機のエースが、うかつにも輸送機で
移動していたというのは、まったく信じられません。
零戦の受け取りに向かっていたとか、引き渡した帰りだったという記述もありましたが、これも出典不明です。単純に、
零戦で出撃し、未帰還になったと信じたいのですが、何か情報がありましたらお願いします。
みや
- 資料を探してみました。出典は昭和46年の航空情報別冊の日本海軍戦闘機隊(付・エース列伝)です。あらためて読んでみると当時は飛曹長になっていて、神風特攻第1次攻撃に直援隊長として3機率いて参加し、F6Fを2機撃墜しているので、まったく護衛が任務だったのですね。戦死の状況は連合艦隊司令長官より全軍布告2階級特進となっているので、おそらく間違いはないと思われます。任務遂行後セブ島に着陸、翌日輸送機で帰還の途上ミンドロ島上空でF6F2機に襲撃され戦死とあります。
余談ですが、西沢広義氏を主人公にした「撃墜王アフリカの星」みたいな映画を撮ってくれないものでしょうか。写真で見るとなかなかハンサムだし、身長も180cmくらいある人なので。
まさ
- まささんありがとうございます。そうですね、戦死が全軍布告では、経過も
きっと間違いないのでしょう。偉大なエースの最後にしては、あまりにも残念
なものです。終戦まで生きておられたならば、間違いなく坂井三郎氏を越える
戦記が執筆されたのでしょうが、多くは謎のままです。
ところで、
映画を撮るなら、ラエ←→ポートモレスビーの戦いが盛んだった頃が一番ですね。
本当に海軍戦闘機隊が強かった頃の話で、安心して見ていられます。
悲壮な話は個人的にはいやですね。
みや