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零戦の塗装で中島製と三菱製の機体では、味方識別標識の幅が違ったり52型以降では後部胴体の塗り分けラインが違うのは何故でしょう?一説には、共通部品が無い為簡単に見分けられる様に塗装したとか・・・でも米軍に捕獲された零戦の写真には、三菱製の機体に中島製のテールコーンを取り付けた写真が在るので、ある程度は部品の互換性は在ったと思えるですけど??単なる会社側で、自社製の機体が簡単に確認出来る様にした為にしたんでしょうか?それとも、海軍側の指示ですか? タケ |
- 中島製A6M2と三菱製A6M3の間でどの部品に互換性があり、どの部品に互換性が無いかというマニュアルが存在します。両社で同じ機種を生産していた時期は意外に短期間です。単純に互換性が無いという事ではありませんが区別する必要は十分にあったことでしょう。塗り分けを指示した通達類は見た事がありませんが、官側の指導によると見て間違い無いと思います。
こうした製造工場の区別は零戦の塗装による区別(三菱、中島、日立)に限らず、P-51BとP-51Cの関係など、色々な例があります。
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- 三二型は全機が灰色のまま領収されていますが、領収後に軍側で迷彩されたものがやはり三菱的な迷彩になっていますので(三二型は三菱製)、官側に明確な基準があったのではないかと思います。
A6M2とM3で互換性がないのは部品の設計自体が異なっているからですが、同一型の中での初期と後期のように機体が変化していても塗装は同じということもあります。このことからすると、互換性の問題は塗装に区別をつけるための主目的ではなかったようにも思われます。
一方で、雷電の三菱製と高座工廠製、紫電系列の川西鳴尾工場・川西姫路工場・昭和製などの間にも塗装のバリエーションが存在しています。これらの差異が意図的なものだとすると、どうも単純に製造工場を区別したかったからなのではないかという気がしてしまいます。
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