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素朴な疑問にて失礼致します。 旧日本陸海軍が4発爆撃機を実用化できなかった、 最大の理由はなんだったのでしょう? 可能性1:技術的なもの しかしマンチェスター>ランカスターの例を見ると、 双発→4発の技術的格差は然程大きなものには見えません。 発動機にしてもB-29等の一部の機種を除けば、 軒並み1000〜1500HP級を採用していますので問題は少ないと思います。 可能性2:用兵上のもの 自身ではこの可能性が高いと考えているのですが、 ひょっとして用兵側は4発爆撃機を欲していなかったのでしょうか? 連山などは所謂4発の重爆でくくるコトの出来ない、 全く異なった運用を考えていた為に実用化困難だったのでしょうか? 乱筆乱文ではありますが、 皆様の御意見をお聞かせ頂ければ幸いです。 WR |
- 4発機を実用化してもそれを収納する設備等が限られてると思うのですが……
吠える狂気
- >1 施設なんか作ってしまえばいいんです。
>WRさん
可能性3:時間切れだった
ってのは無いんでしょうか?
海軍に関しては、BUNさんが性能標準を載せてくださって
ますのでこっちを見た方が速いと思います。
http://www.warbirds.nu/truth/seinou3.html
十八年まで、大型攻撃機は「敵艦艇を攻撃するための物」であり、
そのために「雷撃運動が容易であること」を求められています。これは
四発による大型化と真っ向から対立するものであり、そして、その標準に
従って雷撃を目指した大攻、深山は失敗しました。
目標を攻撃できる中攻という機体が有るのに、目標を攻撃できない
大攻にリソースを費やすわけがありませんね。
その傾向に変化が現れるのは昭和十八年です。まず、爆撃の
比重が高まっていることが読み取れますし、
# 機種統合計画中では雷撃が復活してますが(^^;;
「要地または艦船攻撃」−>「1)敵要地破壊 2)敵艦船撃沈」と、
次第に要地爆撃の重要度が高まってきています。要地破壊が
主任務でしたら、普通の四発重爆でも可能でしょう。そして連山には
期待がかけられ、なんとか試飛行までこぎつけたのですが・・・。
時間切れでした。
SADA
- ケチケチな日本軍には、飛行機1機にエンジンを4つも載せるという考えは、馴染まないものだったんでしょう。
(N)
- 大いに欲しかったと思います。完成しなかった理由は主に技術的なものです。
BUN
- 便乗質問をお許し下さい。
二式大艇は4発機ですのに、同機の技術を爆撃機に転用することは困難だったのでしょうか。いつも不思議に思っておりました。ご回答いただけましたら幸いです。よろしくお願いいたします。
てて
- >5 二式大艇の主翼を利用した四発陸上機案もあり、それよりもその設計スタッフを使って十五試水戦の陸上機化、つまり紫電の開発をはかる方が急務とされたとされております。こうした判断には、川西の社内事情だけではなく、航空本部の意図が当然働いていたものと想像します。
片
- 数多くの情報、有り難くあります>all
自身ではSADAさんの、
初期:運用方針の違いから必要無し
後期:欲するも時間切れ
及び、
(N)さんの、
懐具合が許さなかった
というご説明で納得していたのですが、
BUNさんの、
>大いに欲しかったと思います。完成しなかった理由は主に技術的なものです。
という御意見の登場で、また混乱に陥ってしまいました。
BUNさんの仰る、技術的な理由というのは、
連山での排気タービン&車輪配置の変更のコトを指されているのでしょうか?
それとも2発→4発は、私などが想像する以上の技術的跳躍が要されるものであり、
仮に(飽くまでも仮に)連山が、最初から火星or金星等の固いエンジンを採用した、
通常の尾輪配置の機体だったとしても、開発が難航する可能性があるのでしょうか?
ててさんも疑問を呈されておりますが、二式大艇やその前の九七式大艇の段階で、
少なくとも制御系・燃料系はクリアーされている様に思えます。
(九七式大艇の信頼性劣悪という評価は寡聞にして目にしたことがありません)
すると残る技術的課題は、機体設計そのもの???
WR
- ただ単に4発重爆というだけなら陸軍の九二式重爆撃機がありました。
で、大戦末期に要求された性能を具現化するために必要な装備は与圧キャビンと排気タービンだったわけで、
技術的課題というのはまさにその2点なわけです。
まあそれでも深山が試作されたときには与圧キャビンも排気タービンも付いてなかったんですが、
技術的に量産は不可能の判断がされ、主に降着装置の問題だったと聞きます。
3号電探