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全くの個人的趣味に発する質問で恐縮ですが、戦記ものを読むと天山艦攻は彗星艦爆に比べて、相対的にあまりその活躍が書かれていない様に思うのですが(小生の知識不足もあると思いますが)、誰か天山のガツーンとした雷撃記録をご存じの方々、教えて下さい。わたくし個人的に天山のデーンとした艦載機としての大きさも含め好きなもので... だだ |
- スケールアヴィエーションVol.12と13に『雷撃一代』のタイトルで町谷昇次少尉(操練43期)のインタビュー記事が掲載されています。天山の話はVol.13の方ですが、それを読む限りガツーンとした大物食いが如何に無茶なことであったかが良く判ります。
また、単行本でしたら肥田実幸大尉(海兵67期)著『青春天山雷撃隊』位しかありません。艦攻乗りの方はあまり語りたがらない方が多いのと、緒戦期の搭乗員はあらかた戦死してしまったので、華々しい話はあまり伝わっておりませんです。
電材屋さん
- あまりガツーンとしていませんが、光人社「雷撃のつばさ」世古孜著も
天山雷撃隊の話です。
KI-100
- 彗星は、沖縄戦みたいに陸上目標への降爆出撃もあり、それなりに活躍の場が有ったと思うのです。
天山が戦場に出た頃、「ガツーンとした雷撃」を企図できる状況と云うのが果たしてどれほど有ったか。
(全般的戦況と相手艦隊の防御戦術を含めてのことですが)
それを思うと、両機で残された戦記に差がでるのもある意味で仕方ないかと。
回答じゃなくて済みません。(^^;
MB
- 状況は不明ですが、猛烈な対空砲火でささくれ立った海面をスレスレに肉薄する天山の写真を見たことがあります。
ささき
- 皆様、ご教授まことに有り難うございました。当時の彼我の状況をかんがみれば、艦攻の通常雷撃がいかに困難であったかを理解しました。でも、ささき様の言及されている「対空砲火でささくれ立った海面をスレスレに肉薄する天山」とその搭乗員の方々の姿を想像するだけで、小生にとりましてはもう十分ガツーンであります。
だだ
- KI−100様
『雷撃の翼』は残念ながら信憑性は非常に低い本です。著者の世古一飛曹は実際は電信員ですし、10/14の機動部隊攻撃には参加しておりません。翌15日に小禄基地で町谷飛曹長達と合流しているのが事実です。そんな訳で、その他の記述もどうも著者の一方的思いこみの部分が多いので、頭から信用するのは危険です。
電材屋さん
- 確か45年8月12日、沖縄におけるペンシルヴェニア大破は天山だったと思います。
45年3月18日〜8月14日までの沖縄方面での雷撃作戦では
銀河が延べ265機(42回出撃)
重爆が延べ303機(43回出撃)>たぶん4式重爆
天山が延べ377機(87回出撃)
陸攻が述べ126機(26回出撃)
97艦攻が延べ11機の4回出撃となってます。
以上手元にあった海軍水雷史から抜粋。
見てのように、数でも出撃回数でも天山が最大派閥です。
既に陸攻や97艦攻が少数派であり、双発機は銀河と飛龍に、単発機は天山になっていたんですね。
世界の傑作機を見ると96中攻も参加していますから、この陸攻には96中攻も含まれるかもしれません。
銀河は空母を爆撃したりもしてますからそっちに戦力が使われていたのかもしれません。
またこの出撃の多くは少数機による夜間攻撃が主体のようです。
SUDO
- 45年2月の硫黄島上陸支援部隊に対する
第2御盾隊には
天山(8機だったか)も参加していまして
魚雷発射後特攻したそうです。
ななし
- 皆様のおかげで小生、大戦終盤に天山が頑張っていたことがよく解りました。お答えをいただいた方々に再度御礼申し上げます。
だだ