QQCCMMVVGGTT
2458  昔の「丸」エキストラ版を読んでいたら、キ109の戦闘手記が掲載されて
いました。それによると、昭和二十年三月十三日午後、浜松から離陸して性能
試験中、順調に排気タービンも廻っていたところ、偶然B29の編隊と会敵し、
残弾2発で攻撃を仕掛けた結果、2機撃墜(うち1機は不確実)ということ
でした。
 これは事実であれば大戦果で、すごいエピソードかと思いますが、その後
この手記以外に、書籍や雑誌に記事として取り上げられたものを目にしたことが
ありません。またキ109が対B29迎撃は性能不足と判定されたことからして
もこの手記の内容は事実誤認か、つい大袈裟に書いてしまったのではないかと疑
っています。これは実際に本当のことなのでしょうか?
 
シュウスイ

  1.  審査中の「キ102甲」に黒江少佐が搭乗してB29の迎撃に出動し、一機撃墜の戦果を挙げたエピソードなら有名ですが…。
     幻の戦闘機(碇義朗著、光人社)によると、キ109の審査をしていた酒井少佐も空中射撃テスト中にB29と会敵し、実機に向けての実弾テストをしたことがあるそうですが、これと言った戦果は挙がらなかったようです。
     シュウスイさんも書き込まれているように、キ109は性能不足のため船舶攻撃機に転用されています。
     もし審査中にB29撃墜という戦果を挙げていたなら、なんとか実用化しようとするのではないかと想像されますが、実用化への努力もそれほど熱心ではないような印象を受けますし、生産機数も少ないということから、「射撃テスト中にB29を撃ってみた。命中したように見えたが効果は不明」というところだったのではないでしょうか。
    T216

  2. …ちなみにこの「丸」エキストラ版は第43集「太平洋攻防戦秘話」で、
    パイロットは富田正夫大尉、北川善雄曹長となっており、手記を書いたのは
    排気タービン調整のため、同乗していたT(一応伏せます)という三菱の設計
    係長です。
    たった2発の残弾で、ほとんど2発とも命中するというのは凄すぎます。十分
    な射撃訓練もなされていないと思いますし。
    やはり、当時の関係者の手記といえども、すべて鵜呑みにはできないという
    ことなのでしょうか…
    シュウスイ

  3. 「太平洋戦争 陸軍の秘密兵器」(小橋良夫著、銀河出版)に、そのエピソードがあります。一発目は編隊の中央で炸裂(始めから1500メートルの位置で信管を設定)し、2機撃墜。二発目はB29が逃走したため当たらなかったと。
     キ109については、速力が足らず、B29に追いつけないため、本格的な戦闘に入れず、初弾をかわされると、どうしようもないという結論になったようです。
    12式戦爆

  4. うろ覚えですが、エルエスのキ109の解説書には「発射したが当たらなかった。しかし、それに驚いてB−29の編隊は遁走した」というようなことが書いてあったと記憶しています。この文章の後半はどうだか?と思いますが、こんなところだと思います。
    しかし、昭和二十年三月十三日ですか。吉永小百合が生まれた日ですね(ああ、関係ない)。
    胃袋3分の1

  5. 最近通販で買った本に記載がありました。
    75mm砲は信管が、1000mで爆発するようになっていたため、
    弾丸が目標のB29より手前で爆発して失敗に終わったそうです。


    参考図書 航空情報別冊 太平洋戦争 日本陸軍機
    バウアー中尉

  6. …おおーっ、いろいろ情報をありがとうございます。ちなみに「丸」の手記は
    どうなっているかというと、

    第1発目:「敵右三番機の右翼端のあたりで、みごとに破裂した…命中機は右翼
    の外側エンジンより先が完全にふっとんで、海上めがけてつっこんでゆく。尾翼
    も飛んでいる」 

    第2発目:「最後尾機のわずか上で破裂した。そのB29はよろめきながら下方
    へおちていく…おそらくあの状況では飛行継続は絶望である」

    これは、読み返すとやはりあまりにリアルな描写で戦果誤認とは思えません…
    もしかしたら善意で「丸」の読者が喜ぶかと思ってついサービスしてくれたの
    かな。いや、でもこれが本当の真実ということは…ないか。
    シュウスイ

  7. いろいろ情報をありがとうございます。ちなみに「丸」の手記の描写はどう
    なっているかというと、

    第1発目:「敵左三番機の右翼端のあたりで、見事に破裂した…命中機は右翼の
    外側エンジンより先が完全に吹っ飛んで、海上めがけてつっこんでゆく。尾翼も
    とんでいる」

    第2発目:「最後尾機のわずか上で破裂した。そのB29はよろめきながら下方
    へおちいいく…あの状態では飛行継続は絶望である」

    読み返すとあまりにリアルな描写で、とても誤認とは思えません。「丸」の読者が
    喜ぶかと思って善意でついサービスしてしまったものでしょうか…あるいはやはり
    これが本当の真実だということも…ないんでしょうね。
    シュウスイ

  8. 小山仁示訳『米軍資料日本空襲の全容』(東方出版、1995年)で第XXI爆撃軍団の1945年3月13日の作戦任務概要をみました。
    目標:大阪市街地、出撃爆撃機数:295機、損失:2機で、ここは『丸』の状況に適合していますが、攻撃高度:5,000〜9,600ft、目標上空時間:13日2357〜14日0325(日本時間)ということで一考を要するところです。
    B-29が浜松近傍を目標上空の3時間前に通過したとしても2100時ごろです。2100時も午後には違いありませんが、性能を測定しているような試験初期段階の飛行機が、夜間に運用試験に近い飛行を行うとは考えづらいところです。偶然会敵というのも昼間戦闘を思わせます。
    前掲書は爆撃行のみで偵察機(F-13)の活動は記載していませんが、偵察機が少なくとも3機編隊で飛んでいたというのも、核ミッションではないので考えづらいところです。
    推測のうえの推測となりますが、少なくとも日付は違っているのでないかと私は思います。

    中年受験生

  9. …「丸」の手記によると、3月13日午後1時に浜松飛行場を離陸、ちょうど3千
    メートルまで上昇したときに東海軍管区司令部から空襲警報発令、B29編隊が
    伊勢湾上空より名古屋方面へ侵攻中との無電連絡を受け、高度9千メートルに
    上昇、名古屋港より伊勢湾上空に出て3分くらいでB29を発見したことになっ
    ています。
     確かにこれでは教えていただいたB29の記録と合致しませんね…。
    シュウスイ


Back