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素朴な疑問です。ドイツへの昼間爆撃を強行したB−17は、Me-109やFw-190にかなり撃墜されていますが、ラバウルに空襲にきたB−17を零戦が撃墜するのは難しかったと聞きます。前者ドイツ機と零戦の戦闘機としての性格が違うことは承知のうえであえて質問したいのですが、やはり日本の戦闘機は設計自体と操縦者技量は別として、ドイツ機に性能が及ばなかったと考えて良いのでしょうか? もんちゃん |
- 記憶モードですが、WW2における全ての戦線においてB-17を初めて撃墜したのは
日本機だったはずです。また、独逸空軍でもB-17やB-24といった米軍の重爆を
撃墜するのはかなり難しいことだったようです。この辺りの事は世傑のメッサーや
フォッケの巻を読んで頂ければ分かると思います。
さて、本題の性能差についてです。性能というのはカタログデータを指している
ものと思いますが、例えば零戦21型とメッサーシュミットMe109E−3を比較した場合、
速度はメッサーが優速、航続距離は零戦が圧勝、武装同等、格闘性能は零戦の
有利となると思われます。ところが、これらのデータの計測方法は国によって
かなり異なることがあり、まったく同じ条件でのデータを比較しているわけではありません。
さらに、上で格闘性能は零戦が有利と書きましたがこれも状況によって左右される
部分が大きいと思われます。
よって、性能が及んだ及ばなかったと決めるのは難しい部分があります。
(確かに独逸は大戦後期にはトンデモナイバケモノを作ってますが…)
”&”
- 早速のレス有り難うございました。私の質問の仕方が不明瞭だった様で申し訳なかったのですが、「性能」とは、カタログデータというよりも整備・補給状況もふくめての「現実的な運用上においての、性能」という意味合いを込めています。再度、お教えをお願いします。
もんちゃん
- 何を持って性能が及ばなかったといってるのかわかりませんが(^^;;
零戦は爆撃機だけでなく、同時に来襲する敵の陸軍機、艦載機も同時に相手をしておりますが、
本土爆撃のはじめのころはアメリカの昼間爆撃隊は爆撃機のみの侵入でしたので、
そこをドイツのFw190やBf109はもちろん、Bf410・110などの双発戦闘機も総動員してフクロにしただけです。
しかも迎撃したFw190・Bf109はガンパックの30mm機関砲と重装甲というほとんど純粋て言ってよいほどの対爆撃機専用機が相当数混じっております。
もっとも爆撃機の数も迎撃側の数もラバウルでのそれとは差がありますが・・・
そんな改造を施されたドイツ諸機とそんな改造は施されていない中期の零戦21・32・22とは雲泥の差がありますし、
比べること自体間違ってるような気がしますが?
しかしその後、P-51がまともに護衛についてからというもの、ドイツ側もかなりの損害をこうむっていますし、
こうした爆撃機用途の機体もそうとう活躍してはおりますが、損害も大きかったようです。
また、本土から遠くはなれて輸送の便も悪いラバウルでの機体の運用と
本土上空で機体を運用するドイツでの機体の運用ではそれこそ比べるのこと自体間違っているでしょうし、
ラバウルで立派な稼働率を誇り、Bf109のように地上横転性能は史上最強と邪知されることもない零戦こそ誉められるものでしょう。
P-kun
- 初期零戦の 99 式一号 20mm 機銃は低初速(600m/s)のため貫通力が低く、通常弾(炸裂弾)は瞬発信管のため外板で「はじけて」しまい致命的ダメージを与えられないことが前線から指摘されています。この対策として長銃身高初速の二号銃実用化が促進され、また一号銃にも短遅延信管が用意され「ある程度の成果を挙げた」とされています。
一方ドイツの主力 MG151/20 は高初速(800m/s 以上)で、92g の軽量弾ながら炸薬比率 80% に達する M-Geschoss 薄殻榴弾に短遅延信管を組み合わせたため、同じ 20mm でも破壊効果は相当な差があったものと思われます。更に 1943 年を過ぎると弾頭重量 330g の M-Geschoss 榴弾を秒間 10 発も吐き出す 30mm 機関砲 MK108 が実用化され、その恐るべき破壊力は米重爆搭乗員にとって恐怖の的となりました。
日本の大口径機関砲開発は後手に回ってしまい、終戦までに活躍らしい活躍を見せたのは陸軍の二式複戦「屠龍」に搭載された 37mm ホ-203 くらいでした。対重爆火器として開発された海軍ニ式 30mm、五式 30mm、陸軍ホ-155 30mm、ホ-301 40mm、ホ-204 37mm、ホ-401 57mm いずれも少数生産または試作レベルに終わっています。
ささき
- ↑
というのは搭載火器の性能「だけ」の話。実際には爆撃および迎撃の運用方式が大きな差を生み出したと思います。すなわち欧州戦線の米重爆隊はイギリスの基地を発進してドーバーを越えたあとドイツ領空に侵入、その動向は逐一目視とレーダーで追尾され、護衛戦闘機が引き返したあとは待ってましたとばかりにドイツ迎撃戦闘機の波状攻撃を受け、目標上空で投弾し反転したあとまたボコスカ殴られながら何時間も飛んで、漸く護衛戦闘機の「出迎え」を受け基地に帰投するのです。基本的に自軍基地上空での局地迎撃しかできなかった太平洋とはだいぶ状況が違います。
ささき