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紫電一一乙型の試作機時代の名称が分かりません。試製紫電改や一号局地戦闘機改では、のちの紫電二一型と一緒になりますので悩んでいます。それとも、最初から特に名称がつけられなかっただけでしょうか。 OCTPAQ |
- 「何号機以降武装変更」というような形だったのではないでしょうか。
片
- こういう場合は通常「仮称紫電一一乙型を兵器に採用し紫電一一乙型と呼称す」といった文面で内令兵によって通達されるものなのですが、紫電一一乙型について上記のような文面の内令兵は観たことがありません。
BUN
- 「見たことがない」ということは「あるかもしれない」ということですので念の為。
上記のような文面はほぼ定型文のような物ですのであるとしたらこんな感じかもしれない、ということです。
BUN
- 御回答ありがとうございます。○○号機より武装変更ですが、学研刊「零式艦上戦闘機2」の121ページにある「機銃装備打合セ覚」の九九式二号固定機銃四型の所に、仮称一号局戦 川西八○一号機 一九年八月中旬以降全機 とあります。このことを指すのでしょうか。紫電の生産数を見ていくと昭和19年10月には乙型の完成機が見られますから時期は若干遅れたにせよほぼ予定どおりですね。この覚、昭和18年12月となっていますから、かなり早い段階で機銃の換装が計画されていたのは意外でした。一号局戦改の影響でしょうか?
以前も書きましたが、光人社刊「海軍航空教範」65ページ「實検機性能表」に記載してある「紫電改」(實検中)と呼ばれる機体が乙型の試作機だと思うのですがいかがでしょうか。ただ、試製紫電がただの紫電と記載されているので便宜上の名称である可能性もありますね。
質問から少し外れますが、昭和19年11月に兵器採用となった機体は既存の機体の武装変更されたものがほとんどですが、単に偶然の一致でしょうか。それとも何か関連性があるのでしょうか。
OCTPAQ
- 機体の銘板に「試製○○」と書かれることはあっても、計画書類上で「試製紫電」「試製紫電改」と書かれることはあまりありません。「紫電」「紫電改」と書かれるのが普通です。「紫電」系統の兵装改善計画はその大筋が十九年五月頃にはまとまっていて「紫電改」に13mm機銃を装備した機体を十九年九月から500機生産する等といった構想が形になっています。「紫電」についても801号機以降の件等、同様です。ですからこの時期に「紫電」と「紫電改」の混同は考え難いでしょう。
また、十九年秋の制式採用に兵装変更型が多いという印象は鋭い御観察だと思います。この時期に兵装変更についての型式の振り方が変っているのです。その為に零戦二二甲型などが新たに加わっているのでしょう。原則的に正しい仮称紫電一一乙型という呼称が試作段階で果たしてあり得たかどうか、少々疑問なのはそんな理由です。
BUN
- 昭和19年11月採用は武装の変更による新しい形式分けが実施されたから、これにより紫電一一型も甲と乙に分類された。武装の違いを除けば同じですから、それまでの名称では分ける必要がなかったのですね。
上記書き込み中に「紫電改」に13o機銃〜19年9月から500機生産するという構想、とありますが、ここで出てくる「紫電改」とは一号局戦改を指すのでしょうか?一一乙型を指しているように見えてなりません。
OCTPAQ
- その可能性はありません。紫電改への十三粍機銃装備計画と同じ欄に艦戦型の記述があるからです。紫電一一乙型ではありません。
BUN
- ご回答ありがとうございます。紫電二一型のことでしたか、失礼しました。紫電の胴体は太いですから、7.7o→13mmに換装されたから乙型で機首銃口が後退したのかと思ったのですが、そうではなさそうですね。
やはり翼内銃に合わせて3度上向きにした為でしょうか。
OCTPAQ