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連続して初歩的な質問で恐縮ですが、太平洋戦争中期以降の海軍一式陸攻による雷撃方法について教えて下さい。片端から撃墜されてしまったとの印象が拭いきれないのですが、例えば他の国の双発機による雷撃と比べてなにか問題点(機体の無防御性などのハード面の他に)があったのでしょうか? また、このころの陸攻には一応原始的なレーダーが搭載されていたものもあったと聞きましたが、そうした「電子装備」に関しても、どのような物があり、どの程度有効だったのかについてもご教示ください。 わからん! |
- 昭和18年ぐらいからの陸攻の対艦攻撃での最大の問題点は数量でしょう
例えばマレー沖では合計75機以上が参加しました
これで約1時間の空襲ですから対空砲火に晒される密度はかなり緩和されたでしょう
これに英軍の対空火力の貧弱さが加わります
艦隊は戦艦2隻にまともな対空砲を持たない駆逐艦3隻
艦隊全体の対空火力は下手すると末期の日本戦艦一隻よりも貧弱です
これで撃墜3、不時着1、航空廠行き2、隊内修理可能25を出してますから
もし、これが半分の数で襲撃したら?
たぶん損失数は10機程度になるでしょう(30〜40機で)
これがソロモン戦以降ですと出撃が二桁あるかどうかという世界になります
当然ですが主要艦艇の対空火力はマレーの英軍のような貧弱な物では有りません
陸攻の図体の大きさは被弾率に繋がりますので
マレーの英軍ですら31機に命中を出しているのです
それが20mmや40mmやだったら?
毎分7〜8発しか撃てない13.3cmではなくて15〜22発撃つ12.7cm両用砲だったら?
このような熾烈な環境に投入された双発爆撃機は他に無いでしょう
大戦末期に日本船団を襲撃したB-25は対空砲火鎮圧用の機銃装備機を用いていますし
雷撃よりは比較的運動の自由度の高い反跳爆撃を主体にしましたし、投入数量も凄まじい物です
そういった工夫を行えるだけの余裕が日本側には無かったのです
SUDO
- 数量といえば、索敵攻撃で出したのでやむを得ない面があるとしても、マレー沖で逐次攻撃になってしまったことについて海軍部内で問題になったかと
戦前考えていた陸攻隊の攻撃ってのは、すごい大編隊での集中攻撃だったんです
一個中隊程度の兵力で敵艦隊に雷撃をかけるような運用は考えていないし、むしろ効果が薄いとして禁じられているくらいです
雷撃戦術そのものには特に問題はないと思います。
というか、英(ボーフォート)伊(SM79)あたりの雷撃法はまったくのド素人と思えるほど洗練されたものです。
超低空を這って飛び、魚雷投下後旋回反転しない、という飛行法も、高高度投下できない九一式魚雷を使う以上はベストの選択かと。
まなかじ
- 戦争中期以降だと、昭和18年11月のマーシャル・ギルバート方面や2月のマリアナ方面、10月の台湾沖航空戦ってところでしょうか。あまり陸攻はくわしくありませんが、この時期だと戦闘機の護衛を満足に受けていないのではないでしょうか。私のイメージは敵の戦闘機に食われちゃった、というものなのです。
他の国の双発機による雷撃、ということですが、他の国の双発機って積極的に運用されて、十分な成果があったのでしょうか? 私はあんまり気にしていなかったので知らないだけかもしれませんが。
陸攻のレーダーというのはいわゆるH−6と呼ばれた電探(レーダー)のことだと思いますが、各部隊が本格的に運用を始めるのが昭和19年3月頃です。あくまでも索敵レベルに使用できるもので、雷撃や爆撃の照準に使用するのは無理があると思います。
川崎まなぶ