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初歩的な質問ですみません。どなたか教えてください! 1.零戦は当時パイロット達からなんと呼ばれていたのでしょうか? 「ぜろせん」?「れいせん」?書物では正しくは「れいせん」と呼ぶ と書いてありますが実際当時のパイロット達はなんと呼んでいたのでしょうか? 2.敷島隊の関大尉の零戦は21型ですが、他の4人の零戦は52型ではないでしょうか? 鮮明な写真が無いので分かりませんのでどなたか教えてください。もし関大尉 だけが21型だとしたらなぜなのでしょうか?操縦性がいいから? もし最高速度も航続距離も異なる機種で編隊を組んだとしたらなぜでしょうか? 是非是非お教え下さい。お願いいたします。 さくら |
- 1の答えですが、戦中の国民向けに書かれた新聞記事には、「新兵には、ゼロ戦と呼ばれ親しまれている」と書かれていた様です。
ちはや
- 零式艦上戦闘機を略して呼ぶときには「れいせん」が正しい呼び方ですが、ただ、部隊で「ゼロ」「ゼロせん」と呼ばれてもいます。どちらが正しくどちらが間違いという訳でもありません。
「れいせん」は横須賀航空隊や空技廠、航空本部、製造会社など中央に近い部署で多く呼ばれ、「ゼロ」「ゼロせん」は前線に近い部署で多く使われたようです。
たとえば普段「ゼロセン」と呼び親しんでいた搭乗員もフォーマルな場所では「れいせん」と呼んだかもしれないということです。
二一型、五二型の混成については航続距離はほぼ同じ、巡航速度も実用上変わりませんので深刻な問題は無かったと思いますが、敷島隊の機種構成について、その理由を詳しく考察したことがないので何とも言えません。
BUN
- 早速の回答ありがとうございました。
更に勉強したいと思います。
さくら