2382 |
国、時代、機種によって異なるとは思いますが、第2次大戦中の双発中爆以上の爆撃機において、パイロットの一人が死傷するような緊急事態に備え、パイロット以外の銃手等の搭乗員に対し、ある程度の操縦・航法の基本をマスターさせておくような教育訓練は行なわれていたのでしょうか? 最も、パイロット全員が死傷して操縦に関する指示すら出せなくなったような場合や、コクピットや操縦機器がほとんど壊れてしまったような場合には、脱出するしかないと思いますが。 アリエフ |
- 米軍ではB−25の操縦士を
当初は正副二名だったのを一人にしました
操縦席やられたらどっちも駄目になる可能性が高いとか
生きていても機材がやられたら駄目だろうとか、そういった事が理由だったようです
それから考えると操縦訓練を他者にやらせるなら
その人を操縦士にして出撃機数を増やしたほうが良いでしょう
大抵の場合最も足りないのは操縦士なのですから
SUDO
- 日本帝国陸軍の重爆には普通は、正操縦、副操縦が必ず搭乗していましたと思います。副操縦士が、頭部を打ち抜かれて戦死したとの回想録を読んだ記憶があリます。また、操縦士以外の搭乗員が操縦の訓練を受けていたとの話は聞いた事はありません。もちろん戦隊長が搭乗していれば、まず操縦は可能だったとは思いますが。
帝国陸海軍の場合は、操縦士も足りなかったでしょうが、まともな飛行機もやはり足りなかったのではないでしょうか。
roht
- 一式陸攻の正操縦者が「個人的」に機上整備士に操縦を教えていたーという回想録を読んだ記憶があります。また同じ本に操縦員不足のために、操縦員は基本的に一人しか登場しなかったーと書いてあったような記憶もあります。
占守
- 帝国陸軍飛行第六十戦隊では、終戦まで操縦士は、必ず 正操縦士、副操縦士、2名搭乗していたとの事です。また出撃時には、機関士、通信士(射手を兼ねる事もある)、射手、が必ず搭乗し、終戦まじかには電探を専門とする搭乗員が乗る事もあったそうです。
また、操縦士以外に操縦の訓練を行った事は無かったとの事でした。
陸軍と海軍でいろいろと、事情が違ったのかもしれませんし、ひょっとすれば陸軍でも、戦隊が違えばまた事情が違ったのかもしれませんが。
roht
- SUDOさん言われるように、やはり搭乗員を即席パイロットとして養成してもあまり役に立たないし、費用対効果が悪いということでしょうかね。
アリエフ
- 大戦初期のドイツ軍では、パイロット訓練を受けた機長が、無線士など
パイロット以外の役目で登場するのが原則でした。これは交代を意図した
ものではなく、機長は負担の大きいパイロットを兼ねず指揮に専念するた
めです。大戦後半には、当然操縦士不足から、機長がパイロットを兼ねる
のが普通になりました。
もっとも人の乗るスペースをぎりぎりまで切り詰めたJu88では事実上
パイロットの交代は不可能だったでしょう。もともと旅客機であるFw200
の操縦装置は完全に二重化されていて、長い洋上哨戒には操縦士がふたり
乗り込みました。
マイソフ
- 大英帝国で、ランカスター爆撃機の操縦士が、負担の少ない上部機銃主に、着陸の仕方を教えていたようです。
ちはや